新宿、タイムズスクエアあたり

夜の新宿のビルというのは、こんなきれいだったのか。別に何とも思た事がなかったのに、ちょっとびっくり。特におセンチにはならなかったけど、単純にあの光はきれいだと思った。二次元では分からない、本物の世界。。特に色とかって同じ色でも平面と立体では見え方違うのかなと思った。

保育士国家試験まであと3ヶ月。。まじ頑張らなヤバい。国家試験を受けるための予備校に行くと周りは全員女の人。別に緊張はないけど、さすがに女の子だけの満杯のエレベーターには、さすがに足を一歩入れて、思わず引いてしまった。緊張。

マルコムX

今日はマルコムXの誕生日らしい。(テレビでやってた)そういえばあの映画はすごいブームになった様な気がする。小学生の頃かな?見たのは大分後だったけど、いろんな意味ですごい映画だった。ここまでやっちゃったかと正直思った。

冒頭がすごかった。あの多分白人警察官が犯したロドニー・キングのリンチ事件の映像。途中実際のマルコムXの映像が流れると、あの役を演じていたデンゼル・ワシントン(?)が本物に見えて、この人すごいなと思ったのを覚えている。

マルコムXは同じ時期に行ったもう一人の黒人指導者のキング牧師とよく対比されていたらしい(実際宗教も違うし)。はマルコムXは最初キング牧師を批判して「敵を愛せ何て言えない」と言っていたらしい。でも結局マルコムXも「黒人も白人も関係なく全ての人びとが生きる権利が与えられる」様になるために戦っていた。どちらもすごい指導者だ。多分キング牧師の映画だったら、もっと優しく描かれていただろうな思う。だけどマルコムXだった。あの映画は決して純粋に良いとは思わなかったけど、見といて良かったなと思った。あの映画で黒人のスピリチュアルな部分に興味を持ったきっかけだった。

ここでジェンダーの話をしたくてこんな事を書いているのでは全然ないけど、
僕はただ黒人の持つ(別に全てではないけど)スピリチュアルなオーラにとても憧れる。多分それは自分がドラムをしているのとか、モハメド・アリの試合の映像を見たりした事もすごい影響があるけど。あのごついんだけど柔らかく、また暖かい雰囲気というのは、どこから生まれるんだろう。もし生まれ変わるのなら黒人が良いなと(かなり安易に思われるかもしれないけど)思う。
早くお金を貯めてアフリカに行きたい。

ムキムキ

最近自分の胸板が少し厚くなった気がする。お風呂の中の鏡でポーズ。。・・・いや、やっぱりあの高校三年のサッカー都大会に向けて筋トレを行っていた時の肉体に比べるとヤワねー、ホント。もうムキムキだったのに。
そういえばマスタリングの時、お疲れ森川が「リポビタンD」を飲んでいる時、あのCMを我らがケイン・コスギの代わりに森川がやったらと想像したら、ものすごく面白かった。でも森川、足だけはやっぱサッカー足なんだよなあー。

ばにー

夜明けと共にマスタリングが終わり、その足で幼稚園のウサギ小屋の掃除に。
ウサギ小屋に入ると、約11匹のうさちゃん達。こんな顔して、うんこは沢山、なかなかの臭さ。しゃがんで、1匹捕まえてみた。「なんで私に何かようなの?」と言わんばかりのかわいい瞳「中学のときにやってた豚当よりはましか」と思いつつ、掃除に取りかかろうかと思ったその瞬間シャーッと少し暖かいモノが。。

これも一瞬からの永遠の贈り物なのかしら。。そう思おうと思った。せっかくの日曜だし。

やっぱりこのグルーヴ

先週ずっと欲しかった、スティーブ・ジョーダンのDVDを買ってしまった。石橋楽器(通称ばしけん楽器。内輪ネタです)のポイントがたまってたので、買ってしまった。僕にはこのDVDが必要だと思っていた。やっぱり当たりだった。彼が教則DVDで言っていた中で「四分音符の長さをもっと感じられる様に」と言葉は僕がずっと感じていた事だった。実際この人のドラムはホントにそれが良く分かる。あー、ホント練習せな。そういえば火曜日は念願のマウス・オン・マーズを見に行った。黒人ドラマーのドドさんは大好きなドラマーの一人。最高だった。よくまあクリック聞かないで叩けるな、ホント。そういえば、ラリ・プナも良かった。あの日系?韓国系?のボーカルの女の子がとても素敵であった。ドラムの人はガチガチだったけど笑。

明日はマスタリングだ。どうなるのだろうか、楽しみだ。

今日で

連休も終わり・・・ってまた明後日から休みですが、明後日はいよいよアルバムのマスタリングです。今頃森川が頑張って最後のミックス作業の最後の追い込みをやっていると思われます。ジャケットもショウタと二人で(というか僕は絵だけですが)作り、今はショウタはHP、僕はPVのための絵コンテを書いてみたりしています。

四月から、僕は二人よりも先に学生じゃなくなり、新しい生活になった。護国寺の方の幼稚園で臨時職員みたいな形で働きながら、夜はドラムを叩いたり、バンド活動、また勉強したり・・という生活だ。幼稚園は夕方までの勤務だけど、さすがに子供を三人くらい抱えながらあっち行ったりこっち行ったりしていると、何かサッカーの練習を思い出してしまうくらい、久しぶりに体力を使っている気がする。
僕は一応この幼稚園では、新しく入ってきた脳性麻痺の男の子のお世話をする係についている。彼は身体の四肢は全く動かせないが、脳と心臓は正常なので、顔は実に表情豊かで、こちらが質問する事に対して、口をへの字にするか、最高の笑顔を返してくれるかどちらかである。流暢に話す事は出来ないが、伝えたい事はゆっくりこちらに話してくれる。また、彼は結構激しい事が好きで、サッカーとかこちらが抱えながらすると、とても喜んだりする、とてもかわいい子だ。幼稚園くらいの子はやはりかわいいなと思う。
例えば前にWWFのパンダのTシャツを着ていたら、抱えていた子がいきなり降りて、どこかに行ったと思ったら、草を持ってパンダに食べさせようとしたり、飾ってあった五月人形の刀をいじっている子供に、「それ触ったら、三回その場で回ってごめんなさいしないと夜出てくるよ」とジョーダンで言ったら、ホントに三回回って泣きそうな顔になりながら「ご、ご、ごべんなじゃい」とう子供がいたり。。

まだまだ新しい生活ははじまったばかりだけど、頑張ってやっていきたいです、はい。

続・アフォーダンス2

では、昨日の続きを書きます。

僕は学校の卒業勉強で子供の、特に「幼児の行動の特殊さとは何か」という事について研究してました。子供、特に幼児期等の小さい頃というのは、大人から見ると何とも面白い、こちらも予想出来ない様な奇怪な動きをします。しかしこの様な行動はもしかすると、アフォーダンス理論では説明出来るのではないかと考えました。アフォーダンス理論を中心に文献調査もしてましたが、その他に幼児の行動を実際にビデオ撮影しながら(怪しくないです)、研究してました。

それでその撮影した幼児の行動の映像を観察すると、彼らは自分たちが見たモノの対象に対して、必ず手で触れて、色々な触り方をしている事を発見しました。
例えば、池のレンガの囲いに穴が開いていて、池の水がそこから漏れだしている所があり、その穴に気づいたある幼児達は、ひたすらその穴に手を突っ込んで水の流れを止めたり、手を引っ込んで水がまた流れ出すのを見たり、または水を下から手で受け止めたり・・・という動きを、一言もしゃべらず繰り返し10分程続けていました。
またある幼児は道路にあるオレンジのミラー棒に捕まって、ひたすらぐるぐる回っていました(よく観察していると、それは回っている途中の位置によって「影」が見えたり消えたりするのを確認するための行動に見えたり・・)。
またある女の子はあじさいの花を見つけた瞬間、最初は花を優しく撫でる様に触り、それからいきなり花びらをちぎりだしたり・・・。

僕自身この様な幼児の行動を観察出来た事から、もしかすると幼児期というのは「言語的な知識」をまだしっかり学ぶことがない分、目や手などの身体を使って、遊びながら環境にあるモノの情報(言語以前の情報)を学習しているのでは、と考えたんです。研究は結局十分な証拠が見つけられないまま、それ以上は進められませんでしたが、アフォーダンス理論によってその様な発見もできて、とても良い勉強になりました。

この日記に書いたアフォーダンスに関する説明は、まだ氷山の一角でありもっと深い理論(というよりも僕は哲学とか、思想に近い気がします)であるので、ここには到底書ききれません。しかし最後に言っておきたいのは、アフォーダンスはあたかも魔法の様な理論に思えてしまいますが、「見ている対象が、見えているからそれなんだ」というのはホントに当たり前の事だと思います(「デザイナー」の中にはこのアフォーダンスをあたかも魔法の様に解釈している方もいるようですが・・・)。もしかするとアフォーダンス理論というのは、あらゆる物事の根本的な部分を見直していく時に、非常に参考になる理論であると思います。

やっぱり全然まとまってない・・・・。もし「なんだ、そりゃ??」て思った人ごめんなさい。分からなかった人は下の宛先にどしどし応募して、質問してね!カモーン、えぶりばでぇ〜何て事はさすがに言える自信もありません。。
僕自身も、まだまだ勉強足りませんから、アフォーダンスに関しては、ホント。難しい・・・。

もし興味を持った方がいらっしゃったら、日本のアフォーダンス理論の研究の先駆け的存在である、東大教授の佐々木正人氏の本が沢山出回っているので、呼んでみて下さい。佐々木正人氏の文献はほとんど目を通しましたが、実はどれも同じ事しか言ってません、この人・・・。他にもいろんな方が研究していますが、佐々木さんの本というのは「僕はさー、アフォーダンスはすぎょいと思うんだよねー、まじね。ホントね、ホントすごい理論なんだよ。分かる〜?ね?ね?僕が教えてあげるからさ」みたいな感じで読む人を引き込む文体です(笑)やっぱり一番人を納得させてしまうという意味で分かりやすいかなと思うので、読んでみて下さい。

とりあえず、長い間書くのを待っていた方、ホントすいませんでした
m(__)m

続・アフォーダンス1

ついにここに書く時が来た・・・。多分僕の中で、ちょっと書くのが怖くて仕方なかったのが正直な話です。何か、あの二月からあっという間に息つく間も無く2ヶ月も過ぎてしまった。ここで明日と言っていたアフォーダンスの続きを書きます、はい。

アフォーダンスとは環境と人間の相互関係だと言いました。人間の外にある環境の情報をピックアップするためには、学習する事によって獲得出来るものもあれば、学習しなくてもピックアップする事が出来るものあり、様々です。ギブソンは人間の視覚的な部分のアフォーダンスを中心に研究していましたが、それだけではなく人間の聴覚、味覚、触覚などあらゆる感覚で情報を獲得する事が出来ます。現在では特に触覚など身体とモノとの関係の中のアフォーダンスというのが注目されているようです。
壁に寄りかかるとか、椅子に座るとか、地面の上を歩くなどというのは、これらは壁と、または椅子や地面と人間の直接的な関係の中で生まれた、かなり初歩的なアフォーダンスであると思います。それに対して学習して獲得するというアフォーダンスというのは、例えば具体的にこんな話があります。

あるリハビリセンターで、交通事故で両足を無くした方がリハビリの1つとしてプールを泳ぐ事になり、プールの中に入りました。しかし事故後水の中に入っていなかったその人は、以前の「足のあった体の状態」の泳ぐ感覚しかなかったので、当然のごとく、最初は溺れてしまいます。しかし何時間しているうちに、上半身を上手く使って、上下にクネクネさせながら丁度海鷂魚(エイ)の様に泳ぐ様になったそうです。これは完全に足を無くした人の身体と水との間で生まれた、新しい水の情報をその人が獲得したという事が出来ます。

他にもスポーツ等は分かりやすいと思います。僕はサッカーをやっていたのでよく分かりますが、ホントに良いシュートが蹴れた時というのは、自分の足とボールが「一つになった様な」感覚があります。特に力を入れている訳でもないのに、とんでもないシュートになってしまうのです。(こうズッバーンと。いやズバーンかな?どっちかな・・・)
また僕はドラマーなのでドラムでも同じです。ドラムから出るリズムがホントに気持ちよくグルーブする時は、自分の身体と太鼓が一体化した感覚があります。何かホントにしかしこんな感覚というのは、すぐ獲得できた訳ではなく練習して練習してやっと「分かってきた」感覚なんです。(とか言うと、自分がすごい練習しているみたいに聞こえますが、そういうつもりじゃないです・・)

また触覚だけでなく聴覚的なアフォーダンスの例でこんな話もあります。缶詰の工場で、最終的に缶詰の中身が不良品かどうかをチェックする時、機械ではなく、「打検士」という人がいて缶詰の上を叩いて不良品を瞬時に見分けているそうです。既にフタがされていて中身が見えず、しかもベルトコンベアでどんどん流れてくる缶詰を「打検棒」と呼ばれる、直径20センチくらいの何の変哲もない鉄の棒で全て素早く叩きながら、不良品を見つけ出してしまうのです(僕もテレビで一回見たことありますが、ホントまじすごいです・・・)。しかも99%位の割合で。打検士さん曰く「叩いて、音を出してさ、その音を聞き分けるんだよぉね」らしいです。だから缶詰を叩いてちゃんとした音が出せる事と、その音を聞き分けられるようにならないと出来ないんですね。これも打検士さんが缶詰の情報を獲得している訳であり、もちろん訓練した結果のなせるプロの業だと思います。

このように挙げてみると何となくアフォーダンスという感覚が分かってもらえるでしょうか・・・?前書いたときにアフォーダンスは「脳は通らずに」直接モノの情報は知覚されると書きましたが、それはアフォーダンスの感覚を上手く伝えるためにそういう表現を使っただけで、正確には、おそらく「脳は何らかの形で」通過しているんだろうと思います(じゃないと、生物学的におかしいとか言われそうなので・・・)。ただ先程例で挙げた感覚というのは、いちいち良く頭で考えながら獲得したモノの情報ではなく、人間とモノの直接的な関係の中で獲得した情報であると思います。生理学者のニコライ・ベルンシュタインという人はこのような能力を「巧みさ」と言いました。この巧みさこそアフォーダンスを獲得した結果であると言える事が出来ます。

そして僕はなぜこのアフォーダンスに注目したかと言うと・・・という事で続きはまた明日書きます。