everyday

2010年

今年もよろしくお願いします。

euphoriaは今年、
ニューアルバム"fluidify"リリースをはじめ、
いろいろと面白い動きをしていければと思っています。


2010newyearsday.jpg
1月1日の空

2009年

nightcity.jpg

遅ればせながら、
今年もよろしくお願いします。

灰色の空

graysky.jpg

灰色の雲がすぐ近くまで迫ってきている中、
近景には日差しが降り注ぐ、不思議な光景。

普段、青空の背景には違和感の無い、日差しがもたらす陰影による立体感が、
灰色の空の背景には奇妙に映ります。

梅雨明けまで、あと少し。

Happy new year 2008

あけましておめでとうございます。
2008年もよろしくお願いします。

新年になったので、euphoria official website*のTOPページをリニューアルしました。
写真は、長野県八ヶ岳山麓の森で撮影したものです。


明日は、新しい音源に向けた新曲制作のため、今年最初のスタジオ。
内容の濃い時間にしたいと思います。

今年最後の夕焼け

2007年最後の夕焼けは、なかなか綺麗な夕焼けでした。
影絵のような前景と、重みのある夕焼け雲。

今年あった様々なことを振り返りながら。


sunsetsky2007.jpg

てんこ盛り

昔から、定食屋では真っ先にご飯がお代わり自由か否かをチェックする木下。
そのスピードは、20代後半にさしかかった今もなお、衰えを見せません。

この日、木下がものの2、3分で1杯目のご飯を平らげると、
とても割腹のいい店員さんが、
木下のためにてんこ盛りのご飯を運んで来ました。

これは、それを前にした木下が、
何か文句あるのかと言いたげな図です。

kinoshita_rice.jpg


久々に、木下にまつわる小話でした。

金色の穂

silvergrass.jpg

道ばたで、金色のススキが揺れていました。そんな季節。
英語ではsilver grassというそうで。

光の加減によって、金色に見えたり銀色に見えたりするんですね、きっと。
ススキのある景色には、秋の高い空が似合います。

スイミング

暑さに耐えかね、また日頃の運動不足を解消すべく、近所の区民プールに行ってきました。
そこに行ったのは、おそらく小学校の時以来。

利用券売機のかたちなど、すっかり忘れていた記憶が蘇っていく感覚の連続でした。
そうこれこれ、と見事に記憶が蘇ったり、こんなんだったっけ、と思うところもあったり。

とにもかくにも、泳いだ後は気分が良いもので、時間のある時は通おうかしらと思いました。

東京の虹

"silver lining vol.2"を終えた翌日の月曜日。

ライブでの映像投影のために用意したプロジェクターを返却すべく、
日本橋の機材レンタル会社へ向かっていたときのこと。

東京では初めて見るような、大きくてほぼ完全な虹が、日本橋にかかっていました。

東京の狭い空に、壮大なスケールの虹。
間近ではっきりと見えた、虹の7色。

さらには色の境目の微妙なグラデーションまで見えて、7色以上の色が、空に浮かんでいました。

イベントサブタイトルの"one light brings on thousands of colors"を思い出して、
ちょっとした奇跡のようにも思えてしまう、昼下がりの出来事。

そういえば6日は、奇しくもライブで流した映像と同じ、雨の夜でした。

濡れた路上に反射する光。
偶然の演出に、普段は煩わしいライブ当日の雨も、少しうれしく思えたりしました。


遅ればせながら、雨の中"silver lining vol.2"に足を運んでくださったみなさん、
本当に、ありがとうございました。

鳩の巣?!

先日、CRJ-tokyo発行のフリーペーパー"Link"のインタビューを受けまして。
本日は、その原稿チェックで森川宅へ。

久々にお邪魔した森川のプライベートスタジオ(?)で、実はちょっとした変化が……。

いつも森川が作業に使っているMACの、すぐ後ろにある窓。
その窓の上に、ハトが堂々と巣を作っていたのです!

これすなわち、森川とハトの距離、壁をはさんで1メートル足らず。

至近距離で聞こえる羽音と鳴き声。
ハトが巣の中で動くたび、壁がこすれる音も。

「これ、かなりうるさくない?」と尋ねると、森川は答えました。
「なんか、もう慣れちゃったんだよね。」

意外と神経図太い……。
というか録音にも支障をきたしそうだけど……。

さあ、あのハトは、一体いつまであそこに暮らすことになるのでしょう。

花と空

梅雨の合間の、よく晴れた一日。
久々にカメラを持って出かけ、カラフルに彩られた花壇へ。

地面すれすれから、見上げるようなアングルで、光に透ける花を撮影。
光が透過すると、花はまるで色鮮やかさが保たれた押し花のように、平面的な造形となって空をバックに浮かびあがる。

普段見ることのない角度から見た花の姿には、新鮮な美しさがありました。

春のケヤキ並木

満開だった桜は一瞬で散り、新緑はその色を日に日に濃くしています。

ケヤキ並木を走りながら新緑と信号機の取り合わせを眺めていた時、
なぜか、春という季節が日常に訪れたことを実感。

雨は上がり、久々に春らしい一日。

春風

お茶の水にある某レンタルCD店にて、木下と遭遇。

そういえば、前回行った時は高校の先輩と遭遇した。
唸るほど素晴らしい品揃えを誇るそのレンタルCD店では、自由学園出身者(?)との遭遇率が高い。

木下はというと「小遠足」なる学校行事で横須賀周辺を約20km歩いてきたとのことで、
ちょっとだけお疲れの様子だった。

CDをレンタルして、お疲れの木下と別れ、
銀座に赴き、ギャラリーG8で開催中のニューヨークADC展へ。

入賞作品を見て、大きな刺激を受ける。
実りある、おだやかな春の日。

初雪

新宿から帰る電車の中でAlbum Leafの"Essex"を聴きながら、
外を眺めると線路脇にはうっすらと残り雪が。

こんな都会の真ん中でも、誰も足を踏み入れない線路付近には、雪が溶けずに残っています。

ゆっくり進み出した電車のスピードと共に雪景色は流れて行き、
ゆるやかなAlbum Leafの音楽と相まって、洗われるようでした。

モクレンの落葉

3/19のvoiceで、モクレンの開花の話を書きました。
今日は、モクレンの落葉の話を書こうと思います。

紫色の花をつけるモクレンは、もうすでに冬木の姿。
白い花をつけるモクレンの葉は、今、落葉の最中です。

花が咲くのは白の方が先。
葉が散るのは紫の方が先。

ハクモクレンの葉の写真、
1ヶ月前に撮ったものと今日撮ったものを見くらべても、時の流れ、季節の移り変わりを感じます。

11/5のハクモクレン
12/3のハクモクレン

それぞれ違う歩き方

Bunkamuraで開催中のポップアート展。
アイスランドにポップアートの作家がいたことを知り、ちょっと驚きました。

というか、アイスランドという言葉に対して、即座に反応してしまう今日この頃。
(voiceでもアイスランド絡みのネタがやたら多いような……)

よく考えれば地理的にもヨーロッパとアメリカの中間にあるんですよね。
実際、北欧とアメリカが入り混じった雰囲気があったなあと、納得。

アメリカのテレビが映ることもあってか、アイスランドでは英語がとてもよく通じます。
ちなみにアイスランド語は、相当難しいようです。

もともと無人島だったアイスランド。
9世紀末にヴァイキングが入植し、その時持ち込まれたノルウェー古語が
あまり変化せずに受け継がれてきたのだとか。

今でもノルウェーの田舎に住むお年寄りはアイスランド語を理解できるようです。
言葉って面白い。

ところで、"bjork"が"白樺"の意味だと知ったときは、目からウロコでした。

そういえば。ある時Bjorkが言っていたこんな言葉がとても印象に残っています。

「私たちの国に軍隊がないのは、誰も足をそろえて行進することができないからだって聞いたことがある。みんなそれぞれ違う歩き方しかできないからだって。」

シャイな犬

カメラ片手に近所を散歩。
雲ひとつない空から、晩秋の日差しがやさしく降りそそぐ。

川沿いの遊歩道で、つながれた柴犬を発見。
さて近寄っていくと、彼もこちらに興味がある様子。

よし、秋の光を受ける柴犬君のポートレート撮影、と思いきや、
カメラを向けた瞬間、視線をそらされる……。

仕方なくカメラを下ろすと、視線を合わせてくる。
そしてカメラを構えると、またも視線をそらされる。

そんなやりとりを4、5回繰り返したが、結局、僕の方が折れる。
物憂げな柴犬君の横顔を1枚、カメラに収め、その場を立ち去った。

でもかえって、飼い主との再会を待つけなげな姿の写真になりました。
と、言えなくもないような気もする。

あれはもしかしてポーズを取っていたのだろうか?
そんな疑問が、ふと頭をよぎったのでした。

日常の瞬間

今、隣のお宅が工事中です。

朝、玄関の扉を開けると、陽光を受けた工事現場の防塵幕が、
影絵のようにきれいなパイプのシルエットを映し出していました。

それはその時間にしか出会えなかった、日常の瞬間でした。

その場所で生まれるもの

母校、自由学園の美術工芸展へ。

舗装されていない砂利の道を、懐かしい木立の間を歩きながら、
各会場に展示された、幼稚園から大学生までの美術作品を見てまわりました。

その場所で生まれた作品達が、その場所で、自分たちの手によって展示された美術展。
学園の自然と響き合いながら、作品と作者がつくり出す空間。

連日徹夜で制作していたという木下の作品、とても良かったです。
絵本には、彼の人柄がにじみ出ているようでした。

初めて客観的な目で見た美術展。素晴らしかった。
そしてまた、自由学園が自分のクリエイティビティの源となっているであろうことを、
嬉しく思いました。

枯れ葉を踏みしめる音

雲一つない秋晴れ。
日に日に色づく木の葉は、日差しを透過させて暖色系の光を優しく投げかけているかのようです。

落ち葉の絨毯を歩きながら、紅葉のトンネルをくぐり抜けていく。
秋という季節を実感する瞬間。

小学〜高校までは、学校でよく落ち葉掃きをしていたので、
くまでや竹ぼうきで枯れ葉を集める音や感触が、少し懐かしくなりました。

遅くなりましたが、1日のライブを観に来てくださったみなさん、
どうもありがとうございました。

19日のライブでは、さらにいい音を鳴らせるように、がんばります。

雨降る夜の天体写真

雨降る、夜中の2時。
外へ出ると、雨に濡れた地面が光っていて、思わず、部屋までカメラを取りに戻る。

透明なビニール傘をさして、そのまま近所を散歩しながら、気軽にパシャパシャと。

歩きながらビニール傘越しに見る雨の街の雰囲気を撮せないものかと、ふと思いつき、
傘を自動販売機の光にかざしながら回して撮ると、面白い効果が得られることを発見。

回転する傘についた水滴は、遅めのシャッタースピードによって円弧を描き、
さながら天体写真の星の軌道のようにも見えたり。

雨の夜の、天体写真。
そんな、午前2時過ぎ。

狭くて深い空

地下鉄出口の、細い階段を上りながら見上げる空は、
とても狭くて、でも、そのぶん空の深さを感じさせるような、
そんな気がしました。

わずかにのぞく空に向かって上っていくような感覚。

いつも、地下鉄出口の階段を上る時に感じていた、かすかな違和感。
それは、あまりに狭い空のせいだと、今日、気づきました。

かきごおり

毎日、うだるような暑さですね。
今年の夏は、どうやら夏らしい夏になるようで。

近々、トップページを夏仕様にしようと思っています。

混ざりあうリズム

音楽を聴きながら、パソコンのキーボードをたたいていた。

かたかたと。

そうしたら、キーをたたくせわしなくて不規則なリズムが、
ゆるりとした心地よい8ビートのリズムと混じりだした。

こうやってみると、キーボードをたたく音も心地よい。

シンプルに。

今宵は3人、モスバーガーにて、これから作っていく曲のこと、ライブのことについて色々と話をした。

例によって雑談にも花が咲いたわけだが、何より衝撃だったのは、
ProToolsやMax/MSPを使っている森川が、Wordを使えないことだった(笑)。

Mac付属のSimpleTextを愛用しているらしい。
実は、どこまでもアンチ・ビル・ゲイツだった森川。

いかしたオトコだ。

毛布と掛け布団の位置関係

今日はひとつ、どうでもいいことを書こうと思います。

毛布と掛け布団を重ねる順番についてです。

佐藤家では、必ず、掛け布団が下で、毛布が上にきます。
これ、実はほとんどのうちと逆なんですよね。

昔、この事実を知ったときは少しショックでした(笑)。
小さい頃から疑いもしなかった、”掛け布団が下で毛布は上”という法則が、実はアブノーマルだったなんて!

以降、いろいろな人に尋ねましたが、ほとんどすべての人が、毛布が下で掛け布団は上でした。
うちでは逆だと言うと、誰しも驚いた顔で「何で?」と聞くのです。

しかし僕にしてみれば、そっちが「何で?」なのです。
毛布が下にきている絵は、僕にとって不思議でなりません。

人間、長年自分がやってきたことを正しいと思いこむくせがあるんですね。

しかしあまりにもみんなが毛布を下にするので、自分は逆のままでいいや、と思うようになりました。
そう、僕は未だに、”掛け布団が下で毛布は上”派です。

ほんと、どうでもいいことですね。

逆光の中の景色

ひさしぶりに、3年前の春まで通っていた学校を訪れた。
12年間通っていたその学校は、自然に溢れた庭がある。

当時は見慣れてしまって、ほとんど無意識に眺めていた景色。
今日、その景色は、驚くほどにきれいだった。

傾きかけた陽の光があたる、砂利道と、木立と、木造校舎。

毎日ここにいた頃は、この景色がそれほどきれいなことに、気づいていなかったと思う。

近すぎて気づかないこと。
きっと、それは、今もたくさんあるんだろう。

白と紫のモクレン

庭に咲いていた白いモクレンの花は、風でそのほとんどが散ってしまった。

白い花のモクレンの隣には、紫色の花をつけるモクレンがある。
いつも、白い花の方が先に咲いて、それが散った頃に紫色の花が咲き始める。

毎年、必ずその順番で。
きっと、今年も。

モクレンの開花リレーは、庭で、春の訪れを告げる。

三月の雪

晴れた空に雪が舞う、昼下がりの吉祥寺。

楽器と機材を乗せたキャリーカーを、ごろごろと転がす。
このキャリーカー、試しに体重計に乗せたら、12kgだった。

数字で知ってしまうと重たく感じる不思議。
中学、高校時代に学校の登山で背負っていたバックパックもそうだったけれど。

駅前の通りでは、道行く人の傘に食いつこうとする、
留守番中のゴールデンレトリバーを発見。

じゃれているのか、お腹が減っているのか。
もし、傘が食べ物に見えているとしたら、きっと面白い世界にちがいない。

日だまり

昨日、今日と、春のようにぽかぽかの陽気。
今日なんて、5月並みの気温だったとか。

やわらかい空気。
冬を忘れたかのように。

自転車をこいでいたら暑くなって、久々にTシャツで過ごせそうだった。

そして今、僕の頭の中では、
太宰治と、琳派と、デュシャンと、ピカソやダリなんかが、ぐるぐると渦巻いております。

期末が終わるのは、27日、次回ライブの日の午前中。
がんばろ。

白と黒の芸術

字をていねいに書く機会が減っている。
そもそも、字を書く機会自体が少なくなった。

キーボードを使って打つ字は、誰が打っても同じかたちで、記号のようなもの。
言葉で気持ちが表現できても、字に気持ちがこもることはない。

字を書く機会が減ったからこそ、字を書くことの意味が出てきたようにも思う。

小さい頃、僕は、なぜか字をきれいに書くことに燃えていた。
字を書くことに興味があった。

幼稚園の時、親戚のお姉ちゃんから字を教わったのがその始まりだった気がする。
当時の落書き帳には、絵の他に、鏡文字混じりのひらがなや、ちょっと変わった形の漢字が書かれていた。

でも近頃は、字をていねいに書こうという意識を忘れてしまっていた。

これって、実は、もったいないことかもしれない。

昔のように、もう少し字を書くことを大事に考えたい。
せっかく、字だけで成り立つ芸術のある国に生まれたのだから。

光の影

何気なく、友達のバンドのCDをプレーヤーに入れて、再生ボタンを押した。
ずいぶん前に、ライブ会場で買ったCD。

聴こうと思ったのはほとんど無意識で、音楽は、とても自然にスピーカーから流れ始めた。

そうしたら、ちょっとびっくりするぐらいに良かった。
良かったというより、むしろ、ぐっとくるというか、しっくりくるというか。

そして何だか、思わず、嬉しくなった。

おじいさんの視線の先

夕方のバス。

前の席に座っていたおじいさんが突然、「おぉ、すごい」と声をあげた。
おじいさんの視線は、窓の外に向けられている。

そこには、空高くいっぱいに広がった夕焼け雲が。
空中で混じり合う、空色と茜色。

いつになっても小さなことに感動できる年の取り方って素晴らしいと、そう思った。

かわる・かわらない

一年前の日記を読んでみた。

今と同じようなことを同じように感じている自分がいて、
ちょっとおかしかった。

そこに残っているのはわずかな文章だけれど、
あたりまえながら、変わらないなあと。

でもまったく同じかといわれれば、ほんの少しだけ違う気もする。


そういえば、キノシタが一年前に書いていた、
”ショータは魔女宅のジジに似てると思う、何か雰囲気が”
という発言、そうなのかも、と妙に納得してしまった(笑)。

でもこれ、納得していいのだろうか……(笑)。

湯気の向こうに

あひるのプッカを連れておふろに入ると、
そこで出会ったのは、かめ、ペンギン、オットセイ、かば……そして最後にはくじら。
すっかり満員になって、にぎやかな湯船。

小さい頃くりかえし読んだ、『おふろだいすき』という絵本の話だ。

あの頃は、今日こそ本当にかめがのそっと出てきたり、
ペンギンが床をおなかで滑って登場したりしないかと、わくわくしていた。

そういえば、湯船で足が伸ばせなくなったのはいつからだったか。
むかし、バタ足までしていた記憶もあるのに。

今夜は、12月並の冷え込み。
湯気の立ちのぼる湯船につかりながら、そんなことを思い出して、少しわくわくしている自分がいた。

或る日のこと

何とはなしにピアノを弾いていたら、
いい感じの旋律を思いついて、
すると自然に指が動き始めて、
ふと気がつくと曲が完成していた……という夢を見ました(笑)。

しかも、自分で言うのも難ですがかなりいい曲(笑)。

しかしピアノを弾けない僕は、それを再現することができず、その旋律も時間が経つと忘れてしまい……。

でもあの、イメージが屈折せずにそのまま音になっていく感覚は、ちょっとびっくりしました。

過去にも一度このタイプの夢を見たのですが、
これはピアノを弾けるようになりたい願望の表れなのでしょうか(笑)。

いやいや、忘れてしまったようでどこかに残っているはずのあの旋律は、
いつか何らかの形になってあらわれてくる気がします。

ちなみにうちのK君は以前、僕らが通っていた学校の講堂で、
ロックなど許されるはずのないあの”神聖なる”講堂で、
euphoriaが新曲を演奏している夢を見たそうです。

それもかなりかっこいい曲だったとか。

変なバンドだ(笑)。

小春日和

黄色い花が咲いていて、鳥の鳴声がにぎやかで、
ぽかぽかした陽気で、季節を錯覚しそうな昼下がり。

この間、自宅近くの駅から初めて富士山が見えた。
最近設置されたエレベーターの乗り場にある窓から、あのシルエットが。

打ち上げ後の早朝だったけれど、なんだか妙に嬉しかった。

遅くなりましたが、16日のライブに来て下さったみなさん、
どうもありがとうございました。

オレンジ色の金木犀と夕焼け

夕方が、みるみる早くやってくるようになった。

一年前のことで懐かしく感じない出来事もあれば、
昨日のことなのに懐かしい出来事があるのはなぜでしょう?

金木犀かおる夕暮れの帰り道に、ふとそんなことを考えました。

黄色い葉

急に涼しくなった。
図書館の外で風に揺れる木々は、わずかに黄色い葉をつけはじめている。

このまま秋になるのだろうか。

今、大学図書館の、パソコンの前。
すでに卒論テーマを決めなくてはいけない時期だ。

4年間は短い。
まあ、長いか短いかは時間の長さではなく、その時間で何をするか、で決まることかもしれないが。

明日のライブも、濃い時間にしたい。

天気雨

太陽がじりじりと照りつける中、シャワーのように天気雨が降った。
まぶしいほどに陽の光を反射する、アスファルトの路面。

明日からは長月。

入道雲の行方

8月もあと10日。
2週間もたたないうちにツアーが始まる。

6月末から始まった夏休み。

長かったはずの夏休みは、あっという間に過ぎ去ろうとしている。
あっという間だったようで、ずいぶん長い時間だったような気もする。

夏休みなんて、そんなもの。
盛夏を迎えずに夏が終わろうとしているのだけが、いつもと少し違う。

ツアーまでの残り少ない日々を、いい準備期間にしたい。

ブルーグレーの空

どんよりと雨雲がたれこめて、
ブルーグレーのグラデーションのような空。

さっきまでやんでいた雨が、また降り始めた、雨の七夕。

雨の帰路に思う

帰り道に、雨が降り出した。

雨が地面にあたる音。
雨が地面にしみこんでいく音。

降り始めの雨のにおいは、嫌いじゃない。

もうすぐ梅雨がやってくる。

五月晴れの日に

「日記、代わりに書いてあげよっか……?」
大学の友人の一言。

すみません、すっかり筆無精になってました。

euphoriaは、現在夏の予定を計画中でして。
バンドとしても充実した夏にしたいと思っています。

そうそう、euphoria official website*の通算アクセスが20000ヒットを突破しました。
いつも見に来てくれている皆さん、改めてどうもありがとうございます。

追求する過程

最近、こんな言葉を教わった。

”今の一当は昔の百不当の力なり”。

道元禅師の『正法眼蔵』の中で示されている言葉だそうだ。

弓で矢を射るが、はじめは全く当たらない。
しかし、的に向かって射続ければ、必ず命中する時が来る。
そしてその”一当”は、それまではずしつづけた”百不当”が無ければ存在しなかった一当である、という。

何かを目指して努力することに、無駄なことは一つもない。
たとえそれが”不当”、失敗であったとしても。

追求する”過程”。

euphoriaとしても、それは大切にしたいと思った。

春雨を浴びる桜の木

散った桜の花びらが、
雨のせいでぴったりと地面にくっついている。

冬のように寒い、春雨の一日。

雨について歌われたその曲を聴きながら、
それを初めて聴いてからすでに3年が経とうとしていることに気がついた。

あの時はまだ、高校生だった。
そしてこの4月から、何人かの友達は社会人になった。

みんながそれぞれの場所で、同じように流れる時の中で、それぞれの時間を生きている。

そういえば、昔、僕はある時に気がついたことがある。
今すれ違ったあの人にも、道路の向こう側を歩いているあの人にも、
それぞれが過ごしてきた時間が、確かに在るのだということ。

僕はそれを友達に話したが、彼は当たり前じゃないか、と言いたげだった。
でも、僕にとってそれは当たり前ではなかった。
当たり前ではないことを伝えたかったが、うまく伝わらなかった。

全く違った人生を歩んできたであろうあの人は、
例えば15年前のある日、僕が幼稚園の園庭でトランスフォーマーごっこに夢中だった瞬間にも、
確実にどこかで生きていて、何かをしていた。

今、この場所ですれ違って、この先またそれぞれの時間を過ごして、
またどこかで気づかずにすれ違うかもしれないし、
ひょっとしたら知り合いになるかもしれないし、
もう二度と会うことはないかもしれない。

そう考えていくと、誰かと出会うということは、実は、とてもすごいことなのだろう。

それぞれが過ごしてきた全く違った時間がその場所で初めて重なって、
同じ時間を共有することになるのだから。

あの日、僕が伝えたかったのは、きっとそんなことだったのだと思う。

春休み満喫

昼過ぎに起きて、遅い朝ごはんを食べて、午後はふらりと街へ。

久しぶりに丸一日オフ、といった感じだった。

1、2月はバンドと大学の勉強に追われた記憶がほとんどで、
毎日何かしらすべきことがあって、それをこなしていた。

でも何もすべきことがないというのは、なんだか落ち着かないもので。
まあ、とはいえまだ残っている仕事もあるのですが。

メリハリが大事ですね。
バランスが大事ですね。なんでも。

でも、勢いも大事ですよね。きっと。

今やっていることは、今しかできないことなのだろうと思います。

光の筋

ここ数日、映画の撮影やら何やらで、早起きの日々。
春休みになってほとんど昼過ぎに起きる生活だったのが、突然4時起きに。

さすがに頭と体の調子がよろしくない。
一日の長さは、倍以上に感じられる。

でも、朝の光があれほどまぶしいとは思わなかった。
電車を待つホームから見た線路が反射した2本の光の筋が、きれいだった。

ドラえもん

知人に勧められて、ドラえもん映画を借りた。
去年公開の『ドラえもん のび太とロボット王国』。

あのオープニング曲で始まる。
変わらないシチュエーションに思わず笑ってしまったり。

最初の内は懐かしさにひたって見ていたが、
次第にドラえもんワールドにのめり込んでしまった。

最後には、「ドラえもんってこんなに感動的だったっけ」と思うほどに、感動している自分がいた。
「ドラえもんは大人になっても面白い」と言っていた中学の時の先生の言葉が、少しわかった気がする。

ドラえもんは、実は誰もが持っている”小さい頃から変わらないもの”と共鳴するように思った。

東京の春

いつも通りすぎる家の庭にある、小さな梅の木。
発泡スチロールの箱がプランターがわりのその梅の木が、満開を迎えていた。

東京の春のおとずれを感じた瞬間。

雨上がり

冷たい雨の一日。
もう3月だというのに、傘を持つ手がかじかむ。

夜、外に出ると雨はあがっていた。

街灯や、道を行き交う車のヘッドライトが眩しい。
きっと、ぬれた路上が光を反射しているからだろう。

信号の赤や緑も、いつもよりきれいに光っていた。

アドバルーン

電車の窓から、懐かしいものを見た。
遠くのビルの上に浮かんだ、巨大なビーチボール。

アドバルーン……。

その言葉を、久しぶりに思い出した。
本当に久しぶりに。
おそらく、その存在を思い出したのも何年ぶりかだろう。

ボール型の風船と、風にたなびく、宣伝文句が書かれた垂れ幕。

小さい頃はよく目にしていた。
幼い僕は、アドバルーンが好きだった。
その風船が、最後にはしぼんでしまうことを知った時、とても悲しかったのを覚えている。

久しぶりに見かけたアドバルーン。
なぜか、少し嬉しくて、少し悲しかった。

何もない空

あわただしい師走の街も、ひとたび年が明ければ正月独特の、ぼーっとした雰囲気につつまれる。
その変化はあまりにも激しくて、好きではない。

1月1日になったとたん、急ブレーキをかけたように遅くなる時の流れ。

澄み切った、何もない青すぎる冬空は、
2002年があと2日で終わることなどまったく我関せず、
といった趣で、少しほっとした。

マチのほっとステーション

道ばたにつもった雪は、とけては凍ってをくりかえしながら、日に日に小さくなってきた。
それでもまだ、日陰なんかにはしっかりと雪が残っていたりする。

夜にもなれば、例えば自転車のサドルは、表面の水滴が凍ってパリパリになる。

コンビニに立ち寄ると、あったかい飲み物のコーナーについつい目がいってしまう、今日この頃。
ところで、ペットボトルのホットドリンクって、昔からあんなに充実していただろうか。
えっ、それも温めちゃうわけ?!といった商品もちらほら。
陳列棚を前に味を想像しようと試みるも、これがなかなか難しいことに気づいたのでした。

12月のアイスクリーム

冬に食べるアイスクリームは、夏とはまた違った味わいがあります。

僕は小学校の頃、文字どおり一年中、毎日アイスを食べていました。
おかげで、アイスを食べるスピードは誰よりも速くなりました。

12月のアイスクリーム、ちょっとリッチな気分になります(?)。

光るしずく

夜、自転車でたどる帰り道。

不意に頬にしずくがあたった。
突然に降り始めた雨。

冬の雨はつめたい。

それでも街灯に照らしだされた雨粒は、
地面にぶつかる直前のはかない瞬間、とてもきれいに光っていた。

冷たい雨も仕方ないかな、と思った。

かわいそうなミカン

直径4〜5センチ大の菓子パン。

それをひとくちで飲み込む木下、「だっておれ、ミカンもふたくちだもん。」
森川、「えー、まじで?ミカンがかわいそう。」

練習の合間の、そんなひととき。

ダイアリーがウィークリー

期末試験は本日やっと終了、一段落。

それにしても今日は寒かった。
白い吐息が、冬の到来を演出。
自転車乗るのに、手袋は必携。

暦はもうすぐで12月。
部屋のカレンダーは、なぜかまだ10月。

光陰矢の如し

今週になって、武蔵野にある大学の木立ちは、一斉に赤や黄に染まりだした。
そしてそんな中、期末試験シーズン到来。

最近、時間の流れるスピードが尋常ではない。
大学4年間はあっという間だ、と聞かされていた。
もうすぐで、大学生活は半分が過ぎる。

昔から、”時間の流れ方の変化”を不思議に思ってきた。
つまりは、同じ1週間を長く感じたりあっという間に感じたりするのはなぜか、ということである。

ごく小さい頃は、1週間が、1日が、ものすごくゆっくり過ぎていた。
最初に”時間の流れる速さ”を感じたのはいつだっただろう。
多分、小学1年の夏休みが終わるときだったのではないだろうか。

たいてい、時が経つのを早いと感じるのは、
何か一定の期間が終わりに近づいたとき、あるいは終わった後である気がする。
しかも、時が経つスピードは、終わりに近づくほど、つまり終わりを強く意識するほど、加速していくようにも感じる。

その期間の最中は充実した時間に感じていても、終わってみればあっという間、というのはよくある話だ。
かと思えば、後で振り返ってもやっぱり長かった、と思うこともある。

とりあえず、ここで言っている時間というのは、時計が刻む一定のスピードの時間とは別物だろう。
時計が刻む時間には始まりも終わりもなく、人間の一生には始まりと終わりがあるという違いに、何か秘密が隠されていたりするのだろうか。

こんなことを考えだすとテスト勉強が進まないので、今日はこの辺でやめておきます(笑)。

晩秋から初冬へ

木枯らしが吹き始めた、この日頃。

そうか、木枯らしって木を枯らすほど冷たい風なんだ、なんて考えていたら、余計に寒くなってしまった。

季節の変わり目ほど、季節というものを強く意識する時は少ない。
秋は本当に束の間だから、秋という季節は、僕にとって特に季節感が強い。

色づく木の葉、風に踊る落ち葉。
みるみる日は短くなって、空気がだんだん冷たくなって、日だまりがこいしくなる。

去年の今頃、何枚も空の写真を撮っていた。
秋の空は清々しい。

今日の空も、秋らしい高い空だった。

偶然のリズム

暗い部屋でふと耳をすましたとき、
静寂の中から、3つの時計の秒針が、その音の輪郭を浮かび上がらせてきた。
秒を刻むタイミングはそれぞれが絶妙にズレていて、音の高さも少しずつ違う。
やがて、組み合わさって1つのリズムを刻みだした3本の秒針。

こういう音って、普段は全く聞こえていないのに、
一度聞こえ出すとなかなか耳から離れないものだ。

”聞こえるのに聞いていない音”の存在。
秒針が織りなすリズムは、それを僕に訴えかけているようでもあった。

虚実分明

今、大学の体育の授業で太極拳をとっている。
これが、なかなか奥が深い。

上体は力を抜いて下半身は安定させ、常に重心を低く、柔らかく、スムーズに、全身の動きを協調させて動かなくてはいけない。
ゆっくり動くことが意外なほど難しいことを知った。

さすが中国のスポーツだけあって歴史の重みがある。
そういえば音楽でも遅いテンポの曲の演奏は難しいなあ、なんてことを、太極拳をしながら考えていた。

自由学園体操会

母校の体操会(つまり体育祭)を見に行った。
幼稚園生から大学生までが、広い芝生の上で体操や転回運動を1日かけて披露する年に1度のこのイベント、小学校から高校まで、計12回経験した僕にとっては秋の代名詞ともいえる。

芝生のにおいとか、体操に使われる音楽とか、舗装されていない校内を歩いて靴がすぐほこりだらけになることとか、色々な要素が、記憶の中の”自由学園体操会”を思い起こさせた。

12年間を過ごした自由学園での、数え切れない貴重な体験が今の僕をつくっていることは間違いない。
今日は後輩たちの勇姿を目にして、いつもよりももっとそれを誇りに思った。

晴れ渡った青空と緑色の芝生が、眩しかった。

たき火のけむり

裏道を自転車で走っていた時ににおった、落ち葉を焚くにおい。

昔、庭でたき火をして焼き芋を作ったことを思い出した。

そういえば、あの煙は目にしみるんだった。
長いこと忘れていたそのことも、一緒に思い出した。

上を向けば

午後6時半、渋谷駅前のスクランブル交差点。
目薬をさそうと思って上を向くと、上空には群れをなして飛ぶ20羽あまりの伝書バトが。

ネオンに彩られた人波あふれる渋谷の空に伝書バト、という組み合わせが不思議すぎた。

考えてみれば、普段渋谷で空を見上げることはない。
(上なんて向いていたら間違いなく人にぶつかるだろうし)。

「下ばかり見ていないで上を向いて歩きなさい。そうすれば新しい発見があるから。」という、今は亡き、中学時代の”自然”という授業の先生の言葉を、ふと思い出した。

侍バンド、ナンバーガール

ナンバーガール解散……。


ショック……。


どんどん凄くなっていて、これからどうなるんだろうって楽しみにしていたのに。


公式発表によると、ベースの中尾さんが他にやりたい音楽があると言って脱退を表明、そしてメンバーは「中尾、田渕、イナザワ、向井」の4人で「ナンバーガール」であるという共通意思から「ナンバーガール解散」の決断を下したらしい。

そうは言っても、1リスナーとしてはやはり残念だ。

でも、その4人でナンバーガール、という意思からの解散決定は、ある意味で”裏切られなかった”気もする。
最後まで彼らの侍魂が貫かれた、という点で。
確かに、ベースが中尾憲太郎ではないナンバーガールなど想像できない。

思えば、彼らの音楽に向かう姿勢は真剣そのもので、その姿にはかなりの影響を与えられた。
ライブでの演奏も、凄まじいものがあった。

”ナンバーガールのかっこよさ”を、いつまでも忘れずにいたい。
今思うことは、それだけだ。

初秋の光と風

久々に太陽を見た。

空気はからっとしていて、頭上には秋空が広がっていて、最高の一日。
空は、快晴よりも、高いところに雲が浮かんでいた方が広さを感じることに気づいた。

秋の高くて広い空は爽快だ。

夜は、そんな気分にまかせて、前々から企画があったeuphoriaのステッカーのデザインにとりかかった。

そんな、爽やかな初秋の一日でありました。

レタスの黄緑色

「日記に書くネタが思いつかん……。」
何とはなしに友達に送ったメール。
返信には「じゃあ虚無の日々について書いたら。」とあった。

虚無の日々……?
別に虚無であったわけではない。
今日は昼間、代官山に行った。

もしかしたら、何気ないことを面白く文章に組み立てるセンスが、僕に足りないだけなのかもしれない。
でも今日、とりたててここに書くようなことを感じなかったか、もしくは今思い出せないのは確かだ。

そしてふと思った。
人は年を重ね、経験をつむことで、日常の小さな出来事に対する感覚が鈍くなっていくのではないだろうか、と。

小さい頃、”一日”は膨大な時間だった。
全てが新鮮で、全てに興味を抱いて、全てに対して感覚が向けられていた。

平凡な一日など、存在しなかった。

いや、本当は平凡な一日なんて、今だってどこにも存在しないのかもしれない。
ただ感覚が鈍感になって、いつものこと、と思い込んでいるだけなのかもしれない。

この間、僕が小学校1年の時に書いた日記を見つけた。
そこに書かれていた「レタスをあらったら、ものすごく黄緑でびっくりした」という1行を読んだとき、僕は衝撃を受けた。
気づかないうちに、色々なものを失ってきたことを知った。
でもその時、それを書いた時の感覚が、ぼんやりとではあるが蘇ってきたのは救いだった。

レタスの鮮やかな黄緑色に驚くような研ぎ澄まされた感覚が鈍ってしまったのは、仕方がないことなのかもしれない。
でも、そういった感覚を完全に失ってしまうことだけは絶対に避けたい、何気ない場所で感じた小さなことを、大切にしていきたい、そう強く思った。

雨の夜の空気

夜になってふと窓を開けると、冷たい空気が流れ込んできた。
雨はしとしとと降り続いている。
草が濡れた匂いと、地面をたたく雨音のリズムと、雨音の陰で控えめに鳴く虫の音色が冷たい空気とあいまって、不思議と気持ちが良かった。

雨も、こうしてみるといいものだ。

夏休みは束の間、という普遍

小学生の頃、2学期の始業式というと、夏休みという夢のような世界から急に現実に引き戻される感覚があって、それがあまり好きではなかった。
数日たてば学校へ通う日々も再び日常となり、夏休みは遠い日の記憶、といった感じにどんどん遠ざかっていくのだけれど、夏休みから新学期というたった一日の間で起こる変化は、まるで淡水から海水への変化のごとくショックを伴うものであった……そんな気もする。

とまあそんなわけで、今日からまた学校が始まった。
だが、特に大学に入ってからのことなのだが、上に書いたような感覚はもうほとんどない。
そこにあるのは”また授業が始まる”、という変化だけ。

今思えば、小学生の頃のあの感覚は貴重だった。
それがあったからこそ、夏休みはまた格別の価値を持っていたようにも思う。

でもなぜだろう、”夏休みは束の間”という事実だけは昔とまったく変わらずに、いつまでもその普遍性を保持し続けているのでした。

夏の終わりは秋の始まり

昨日、今日と夜は隅田川沿いで映画撮影。
今日はバンド練のあと現場に直行、というハードなスケジュールだった。

撮影中、通行人が立ち止まってこちらを見ていたりして、少しばかり有名人気分(笑)。

そういえば最近、夜はもう秋になりはじめている。
昼間のセミに代わって、暗くなってから鳴き始める秋の虫の音。
昨日なんか、撮影中長袖が必要なぐらい気温も下がった。

”夏が終わる”と聞くと何とはなしに寂しい気分になる。
だからいつも夏の終わりには”秋が始まる”と思うようにしている。

夏が終わるのは寂しいけれども、秋もいいものだ。
高い空、色づく木の葉、ちょうどいい涼しさの空気。

秋が好きなのは若い証拠という話を聞いたことがある。
心が老いると、秋は寂しい季節に感じられるらしい。

秋はまた、四季の内でもっとも短い季節であるように思う。
やっと涼しくなったと思うと、すぐに冬が来てしまう。

今年も、もうすぐやってくるであろう”束の間の秋”を満喫したい。

キノシタのマイブーム

練習後、松屋で牛めし大盛と生玉子を注文した木下。
そして言った。
「これ、最近の自分的ブーム」。
直後、といた生玉子をみそ汁に入れるキノシタヨウスケ、ハタチ。

「……それ、うまいの?」
「うん、あんま味かわんないよ。」

じゃあ何のために入れたんだよ……。

練習後はかなりの頻度で利用していた松屋だが、そういえばここのところ何故かしばらく行っていなかった。
そして今日久々に行った松屋で、木下の中ではおかしなブームが巻き起こっていることが発覚した。

テレキャスターベース

新大久保の楽器屋で、新しくベースを買った。
77年製、黒いフェンダー・テレキャスターベース。
自分よりも年上のベース。
とてもいい音が鳴る。

今使っているミュージックマン・スティングレイを買ったのは、4年前のことだった。
重くて、ネックも太いそのベースだが、いつもそれを使っているとさすがに、重いとも、ネックが太くて弾きにくいとも思わなくなった。

おかげで僕は、重さやネックの太さを気にせずにベースを探すことができる。
今日買ったベースも、幅こそ平均的だが厚みのあるネックで、ボディは重い。

スティングレイとテレキャスターベース。
それぞれにキャラクターの違う音。

この夏のレコーディングではどちらのベースを使おうか、迷い中です。


>今聴きたい一曲 Polaris "季節"

silent blue

『静かな青』。
大学の友達が監督をつとめる自主制作映画である。
来年春に完成予定だという。
彼はこの作品で出世する気合十分らしい。

そんな”重要作”に僕が出演することが決まってしまったのは、1ヶ月ほど前のこと。
半ば強引に説き伏せられ、
そういう経験も一回ぐらいありかな、と思い、合意。
しかし出世狙いの作品に、なぜ僕を出演させようと思ったのだろうか、謎。

ともかく、今日はその撮影だった。

監督の「素でいってくれ」の言葉を忠実になぞるように、
役者魂などさらさら無い僕は、開き直って超自然体でやらせていただいた。

そんな僕が今日気づいたのは、同じシーンを繰り返すのは大変、ということ。
人生において、同じ場面の繰り返しということはまず無い。
しかし撮影では、時に、撮り直しで同じシーンを演じる必要がある。
細かいセリフはほとんどアドリブに任されていることもあり、同じシーンでも1回目、2回目と毎回微妙に変わってくる。
会話だと、例えば自分がさっきと違うことを言えば、その後の会話の展開はまったく別のものになっていく。

やり直しのきく人生ってこんな感じだろうか、なんて思ってしまった。

経験のない映画出演というこの機会に、新しいことを学んだり、感じたりできたら、と思う。

明日も、撮影だ。


>今聴きたい曲 PEARL JAM "sometimes"

!!!!

うぉーーーーーっ!!!!
勝ったーーーーーっ!!!!
決勝T進出だぁーーーーーっ!!!!

ニッポン、サイッコーです!

昼間は大学の学食に置かれたスクリーンで観戦。
家に帰ってからも繰り返しリプレイを見て、感動しっぱなしです。
得点シーンを見て、H組の順位表を見て、歓喜の涙が……。

そして韓国も、おめでとー!

最高のW杯ですね。

ここまできたら、次も絶対!!!!

図書館にて

現在時刻午後4時。

ベルギー戦まであと2時間。
なのに何なのだろう、この凄まじい眠気は。
まあいいや、始まったらそんなものふっ飛ぶでしょう。

今日は街で、大学のキャンパスで、日本代表のユニフォームを沢山見かけた。
ああ、どうなるのだろう、試合。
4時間後には結果がわかっているわけだ・・・・・・。
いやはや、ここまで来たら、応援するのみ。

勝ってくれー、ニッポン!!!!

シェイクスピアをつまみにW杯観戦

Shall I compare thee to a summer's day?
Thou art more lovely and more temperate:......

明日のテストに備えて、シェイクスピアのソネットを暗記中。
ワールドカップをテレビで観ながら、暗記中。

英詩の暗記といえば、中学の時の、マザーグースを暗記する授業を思い出した。
あのころと比べて記憶力は落ちているのだろうか。
そうではないことを信じて、今、ソネットを暗記している僕。

途中、バティストゥータの強烈なフリーキックのリプレイに、
しばらく目を奪われていたりもした。

この後はイングランドVSスウェーデン。
あぁ、テレビの前から離れられない……。


P.S. 昨日、筆不精のキノシタが「これからは日記を毎日書く!」と堂々宣言したので、皆さん、要チェックです。

ヒカリnoチカラ

最寄の駅から家に向け自転車を走らせていた時、
ふと横を見ると、雨上がりの小さな公園に、陽が差し込んでいた。

僕は、普段、カメラを持ち歩かない。
しかしよく、「この場面を撮りたい!」という衝動にかられることがある。

今日、たまたまその公園が目に入った時もそうだった。
僕は急いで家に帰って、カメラを持って再び公園に向かった。

だが、ある程度予想はしていたが、差し込む光の角度は大きく変わってしまっていて、
もう、さっき見た風景ではなかった。
つまり、シャッターチャンスを逃したのである。

それでも雨あがりに晴れ間がのぞいた時の、
反射するまぶしい感じの風景を何ヶ所かでみつけたので、
10枚ぐらい撮ってから家に戻った。

光が景色を別のものにする力に、またも実感させられた出来事だった。


>本日のテーマ THE APPLESEED CAST "A PLACE IN LINE"

腹十分

本日、焼肉を食いました。

カルビ、タン、ハラミ、ミノ、ギアラ、ビートロ……。
いろいろと食しました。
うまかったー。

でもトン足は、あまり魅力的ではありませんでした。
昔、学校で飼っていたブタたちを思い出してしまって(笑)。

そして帰り道、腹十分の僕は、雨にぬれた道路に映る車のテールランプを眺めつつ、なかなか来ない深夜バスを待っているのでした。


にしても、俊輔の代表落選がショック……理解できん……。


>今の一曲 rage against the machine "Know Your Enemy"

惑星集合

何でも、今、”惑星集合”が起きているらしい。

日没直後、西の空。
水星、金星、火星、木星、土星が接近して並んでいるそうだ。

今世紀に数回しかない現象、とのこと。
次に起こるのは2040年の9月だとか。

天体の動きは、”何十年、何百年に一度の”とよく形容される。
人間と比ではない、サイクルの長さ。

宇宙を研究し始めたら、人生観、変わるかも。


>今聴きたい一曲 TEENAGE FANCLUB "Is This Music?"

高菜むすび

本日もバンド練習の後、駅のベンチで夕飯。
サンクスで購入したおにぎり3種(ちなみにドラマーのキノシタはオム焼きそば)。

さすがに牛丼も食べ飽き、ファミレスもちょっとねぇ、
そんな僕らの決断は、駅のベンチに腰掛け、酔っ払ったおじさん方が鼻歌まじりに改札を通過していくのを眺めながらの夕飯。

夜の駅、いろんな人がいるものです。
時折目が合う駅員さんを見て、1日中ここにいたら人を見飽きるんじゃなかろうか、なんて思ったり。

そんな5月の最初の日。


>今の気分な一曲 RADIOHEAD "bullet proof..i wish i was"

コピーとオリジナル

人さまの曲のコピー。

高校時代は度々やっていたそれを、今、久しぶりにしている。
何か違和感がある。
楽しい作業ではあるのだが、いまいち"自分が演奏している"感がない。
高校の時には無かった奇妙な感覚。

実は僕、次のライブではコピーバンドにも出演することになっているのです。
そして今日はその練習をしたわけです。

1年間、自分達で創り、演奏することを繰り返したきたからか、
他人の曲を演奏するのにはかなり違和感がありました。
当然のことながら、"ひとの曲はひとの曲"というか。
自分と曲との間に、一定以上の距離がある感じです。
オリジナル曲については、何というか、曲がそれだけで存在するのではなく、"自分達と曲との関係"が曲、曲と自分達が一体、といった感覚があるのですが。

1年ぶりのコピーは、そんなことを気づかせてくれました。


>今聴きたい一曲 rebecca gates "desert reality"