その2 "メロディーとことばを超えて"

どーん!という花火の音とともに、
巨大なねぶたがいっせいに動き出す。
そのねぶたがすぐ近くまで迫ってきて、
僕の目は釘付けになる。

地を這うような低音域を奏でる大太鼓、
にぎやかに舞う手振り鉦の高音域、
そして、中音域を担う「らっせらー、らっせらー!」のかけ声は、
否応無しに、とんでもない高揚感を生み出す。

視覚聴覚、その他さまざまな感覚を全開にさせてくれる、
その圧倒的な表現に、ただただ立ち尽くす。

気づくと、わけも分からず、じーんと感動がこみ上げてきていて、
涙があふれそうになってくる。

なにか涙腺に訴えかけるようなメロディーがあるわけでもない。
「らっせさー!」なんて、意味もなにもわからないことば。
それなのに、どんな音楽よりも、どんなことばよりも、
大きく大きくこころが揺れ動くような感覚。

そんな心地よさと感動に浸りながら、
あっという間に時間は過ぎて、
どーん!という花火が、祭りの終わりを告げる。
その余韻を味わいながら、深夜発のフェリー乗り場まで、
ゆっくりと徒歩で向かう。

その途中、大きな銭湯で、ゆったりと。
ドアを開けると、ねぶたを担いでいた人や、はねとの人たちで、いっぱい。
浴場に入ると、そこもねぶたで活躍した地元の人たちで、いっぱい。
多くの人が20〜30代の若者で、丸刈りで、こわもてな髭を生やし、
眉毛も細くて、さすがに入れ墨まではないけれど、
その状況に、緊張して、「失礼しましたー!」、と
ドアを閉めるところでしたが(笑)、なんとか平静を装い、
僕は隅の方でシャワーを浴びる。

露天風呂の浴槽では、その、だいぶ迫力のある若者たちの会話が耳に入ってくる。

「明日、ねぶた優秀賞の発表なんだろー、
 すっごい緊張すんな〜、」

「でも、最高に気持ちよかったし、
 悔いに残ることはねえよなぁ」

こわもての若者たちの間では、そんなピュアなことばが飛び交っている。

「あの最後の花火がせつねぇーんだよな」

「俺もう筋肉痛で腕が上がんねぇや」

まるで少年のようなきらきらとした会話が、いつまでも続く。
街ですれ違ったら、目を合わないようにと気を使ってしまうような、
そんな迫力のある若者たちが、こんなにも素直な会話。

銭湯での、そんな、なんとも美しい光景と、
ねぶたでの強烈な感動とが合わさりあって、
この上ないほどの、ぽかぽかとしたこころのまま
フェリー埠頭へと、夜の道をゆったりと歩きました。