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旅するたのしさ

1週間ちょっと、北海道でゆったりとしてきました。

最終日は、モエレ沼公園を見て、
それから小樽へ。
日が沈み、運河の水面に、
灯りがうっすら浮かんくる風景が
とてもきれいだった。

翌朝は、小樽駅の近くでモーニング。
ママがひとりで切り盛りしている、小さなお店。
僕は小さな喫茶店のモーニングが好き。
見知らぬお店に入るちょっとした緊張と、
これから一日が始まる朝の匂い。

土曜の朝だったからか、お店は混んできた。
家族連れでカウンターは埋まり、全員がモーニング。
「少し時間かかるけど、電車は大丈夫?」とママ。
しばらくして、厚手でふかふかのトーストが焼き上がる。

「無理すれば、4枚まで焼けるんだけど、
 無理しちゃってもねぇ…」

ママがにこやかに、話してくれたことば。

無理しちゃってもねぇ、の続きは微笑みだけだったけど、
なんだか、その続きも、こころにすっと響いてくる。

どこにでもあるような、
ちょっとした会話や、
さりげない風景でも、
そこから多くの意味を感じとれるのが、
旅のたのしさなんだろうなあ。

*

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京都1. 旅の中で聴く音楽

旅をすることの中には、多くの魅力があるけれど、
僕は、目的地に向かう時間そのものが好きです。

池袋発の夜行バスに乗って京都に向かう。

消灯になるまでの間の2時間ほどは、本を読み
そして灯りが消えてからは音楽を聴く。

近頃、音楽を聴いていて、
きれいだな、斬新だな、上手だな、
心地よい音だな、と思うことはあっても、
こころが震えるような瞬間は少なくなってきた。
でも、旅の中で聴く音楽は、
不思議な程、こころを揺さぶる。

思い返せば、この感覚って、中学高校時代には、
日常でも頻繁に湧いてきていたように思う。
そしてその感覚から生まれた曲は、
今でも演奏し続けている大切なものが多い。

見知らぬ土地、人との出会い、
初めて触れる出来事の多さ。
不安と楽しみが色濃く入り混じった、
そんなドキドキする気持ちが、旅の中にはある。

きっと、中学高校時代の多感な時期には、
これと同じような感覚が日常のあちこちに
ちりばめられていたのかもしれない。

歳を重ねて、知識が増えるにつれて、
見知らぬものとの出会いに対して
疎くなってくることがある。

よい音楽を作ろうと、
音の並びを学んだり、楽器の練習を
コツコツすることも重要。
でもそれと同じに大切にしたいのは、
旅をすることはもちろん、
日常の中においても、新鮮な眼差しで、
不安や楽しみをごちゃ混ぜにした気持ちを、
多く持ち続けるということ。

AM6:15、目覚めたら、京都に着いていた。

*

京都2. はじめてのロケ地めぐり

京都3. ”その人”が出ている音楽


京都2. はじめてのロケ地巡り

早朝に京都の河原町に到着。
近くのスパでひと休み。それから、
よく晴れた午前中、冬の京都を歩く。

euphoriaのライブで京都に来る時は、
いつも車だったので、
あまり土地勘をつかめないでいたけれど、
今回は、一人であちこち歩き回っている。
バスの時刻表を眺めたり、電車の路線を調べたり、
少し迷いながらも自分の足で歩いたり。
そうしているうちに、
京都の街の地図が少しずつ頭に入ってくる。

小さな子どもくらいある重さのリュックと、
ギターのハードケースを持って移動するのは大変なので、
ライブをするTranq Roomで、荷物を預かっていただく。

リハまでは、2時間ちょっと。
あまり遠くには行けないので、
iPhoneのmapを使って、コースを模索。
そういえば、先日観た
マザーウォーターという映画の撮影は、
この辺りだったようなと思いついて、検索。

マザーウォーター、
質素でありながら温もりを感じる、素敵な映画でした。
その中のシーンで、小泉今日子さんが
珈琲を淹れているカフェがあって、
そのお店が分かったので、わくわくしながら散歩を再開。
映画のロケ地巡りは、事前準備が大変そうで、
僕がすることはないだろうなと思っていたけれど、
iPhoneのおかげで、ほんの思いつきで実現してしまった。

お店の雰囲気は、映画のときとほとんど一緒で、
店内は珈琲のよい香り。
マザーウォーターの心に残っている場面を
思い出しながらのしばし休憩。
ランチのエビチリ茄子の温泉たまご丼も美味でした。

Tranq Roomに戻り、リハーサルがはじまる。

*

京都1. 旅の中で聴く音楽

京都3. ”その人”が出ている音楽

愛あることば

「お客さーん、着きましたよー」
フェリーの係員の方、直々に起こされる。
時計を見ると、朝6:20。
そして、回りを見ると、
僕以外のお客さんは、誰もいなくなっている。

みんなは船内アナウンスで目覚めて、下船したようだけど、
僕は、それまでの旅の疲れもあったのか、ぐっすりと眠っていたようで、
びっくりして、リュック片手に函館港に降りました。

薄曇りの天気のなか、最寄りの駅まで20分ほど歩く。

また今日も、各駅停車に揺られること三時間。
電車は、長万部駅に到着。
乗り継ぎまでの2時間、のどかな街並みをゆっくりお散歩。
名物のかにめしを食べる。
器いっぱいに敷き詰められたかには、さっぱりとしていて、
でも、口のなかには芳醇な味わいが広がり、美味。

去年の夏、ここ長万部駅の商店街を歩いた時に見つけた、小さな本屋さん。
まわりは、ほとんどシャッターが降りたお店ばかりだったので、
まだ、だいじょうぶかな、と少し不安に歩いていると、
あったあった、以前と変わらず、ひっそりとオープンしていた。
そこで、しばし、時間を過ごす。
店主さん手書きのポスターには、

「最新のネットワークにより、お探しのどんな本でも
 最短5〜7日で入荷いたします。」

と書かれていました。

パソコンで買い物をする人たちにとっては、
ちょっとびっくりなスピードかもしれないけれど、
ほんの数年前までは、これくらいが当たり前だったよな、と思う。
それで、特に不便を感じたことも、
その当時はほとんどなかっただろうし、
情報化の進歩がめまぐるしい、現代の時間の流れの方が、
ちょっとおかしいのでは、なんて思ったり。

でも、それはきっと、ここ数日、のーんびりと、
各駅停車の旅を続けているから、
そして、こんなにゆったりのどかな街を歩いているから、
そう感じたのだと思うけれど。

*

往路最後の、各駅停車の旅となる、
室蘭本線に乗り込む。かわいらしい一両編成。
ボックス席になっている電車で、
となりのボックス席では、大学生くらいの、
僕と同じような、電車旅行中であろう格好の青年と、
70歳過ぎの、地元感漂うおじいさん(北海道に詳しそう)とが、
向かいあって座っている。
初対面の2人は、初め、微妙な距離感でしたが、
ある駅で、20分ほどの停車時間があったタイミングから、
一気に会話が弾みだし、その雰囲気がとても楽しそうで、
おまけに声も大きいものだから、ついつい、
僕の耳にも入ってきてしまいました。

その青年は、時刻表片手に、長いこと旅を続けているようで、
これまでの旅のいろんなことを、おじいさんに丁寧に話している。
今夜は、札幌まで行き、ネットカフェに泊まるという会話の中で、
その青年は、ネットカフェというものを、
おじいさんが分からないかもしれないということを踏まえながら、
ていねいにやさしく、細かな説明をしている。
これこれこういうしくみで、シャワーもあって、
2000円代で泊まれるから、学生の旅には便利で、などなど。

おじいさんは、その話を興味深く、ていねいに聞きながら、
今度は、その青年が北海道にそれほど
詳しくないであろうことを踏まえて、
おすすめの路線や、景色の良い場所、
北海道の、昔と今の変化してきた部分などを、
ゆっくり、やさしく、説明している。

そんな状況が、とてもいいなぁ、と僕は感じていました。
そこには、愛あることばが存在しているなぁと。

世代の違う人同士は、どうしてもその中で、
話題を完結しようとして、あまりによろしくない状況では、
「最近の若い人たちは〜」という台詞と、
「古い人には分かんないよなぁ〜」という台詞、
(それらに出会うたびに、僕は、なんだかとっても嫌だなぁ、
 という気持ちになるのですが、)
そんな台詞で、まとめようとしてしまいます。

相手の存在を大切に思い、立場を想像しながら、
その上で、自分の考えていることを、
いかに分かりやすく説明することができるか。
そこで、あれこれ工夫したり、ときには苦しんだり、
そのときに生まれてくる気持ちが、愛というものなのでは。

車窓に広がる、静穏な内浦湾を眺めながら、
愛あることばについてあれこれと思いを巡らしていると、
今回の旅のゴール地点、伊達紋別駅に到着。

これから5日ほど、北海道で、時間を過ごします。

その1 "青森でおばあちゃん"

朝6時過ぎ、二両編成の各駅停車で、
新潟から秋田へと向かう。
所要時間、4時間ほど。

あまりみかけない名前のコンビニが増えてくると、
遠くに来たんだなぁと、そんな気持ちになる。

昨日の夜行列車では、ほとんど眠らなかったため、
各駅停車のほどよい振動とともに、強い睡魔がやってくる。
見知らぬ風景への興味が眠気で、ぼんやりと。
夢と現実のはざまで、
太陽のひかりを受けた海がそよぐ風で揺らめいている景色と、
どこまでも広がる、壮大な、田園風景が浮かんだりぼやけたり。

お昼頃、秋田駅に到着。乗り継ぎに2時間ほどあったので、
街をお散歩。地元感漂う定食屋さんで、お昼ごはん。

13時発、三両編成の各駅停車で、
秋田から青森へと向かう。
所要時間、ここも、4時間ほど。

あまりみかけない名前のコンビニもそうですが、
電車内で聞こえる会話から、独特のリズムと響きを感じると、
これまた、遠くに来たんだなぁ、という気持ちになる。

青森に近づいてくると、
そのリズムと響きは、ますます豊かになってくる。
でも、その雰囲気に、なんとなく、懐かしさを感じる。
そして、青森生まれのおばあちゃんのことを思い出す。
その瞬間、自分が小さかった頃のことなど、
さまざまな記憶がふわふわと浮かんできました。

車内は、ねぶた祭りへと向かう人たちでなかなかの混みぐあい。
僕の座席の斜め前におばあさんが立っていて、
少し大変そうだったので、少し照れながらも、
声をかけると、おばあさんも少し照れながら、
青森のことばのリズムで、「すーいません、ありがとーございます」、
とわざわざ丁寧にお辞儀してくれて、席をチェンジ。

ちょうど自分のおばあちゃんのことを
思い出していたときだったので、なんだか不思議な感覚に。

青森駅は、すでに、ねぶた祭りムードで異様な盛り上がり。
はねと姿の人たちもどんどんと増えてくる。

その2 "メロディーとことばを超えて"

どーん!という花火の音とともに、
巨大なねぶたがいっせいに動き出す。
そのねぶたがすぐ近くまで迫ってきて、
僕の目は釘付けになる。

地を這うような低音域を奏でる大太鼓、
にぎやかに舞う手振り鉦の高音域、
そして、中音域を担う「らっせらー、らっせらー!」のかけ声は、
否応無しに、とんでもない高揚感を生み出す。

視覚聴覚、その他さまざまな感覚を全開にさせてくれる、
その圧倒的な表現に、ただただ立ち尽くす。

気づくと、わけも分からず、じーんと感動がこみ上げてきていて、
涙があふれそうになってくる。

なにか涙腺に訴えかけるようなメロディーがあるわけでもない。
「らっせさー!」なんて、意味もなにもわからないことば。
それなのに、どんな音楽よりも、どんなことばよりも、
大きく大きくこころが揺れ動くような感覚。

そんな心地よさと感動に浸りながら、
あっという間に時間は過ぎて、
どーん!という花火が、祭りの終わりを告げる。
その余韻を味わいながら、深夜発のフェリー乗り場まで、
ゆっくりと徒歩で向かう。

その途中、大きな銭湯で、ゆったりと。
ドアを開けると、ねぶたを担いでいた人や、はねとの人たちで、いっぱい。
浴場に入ると、そこもねぶたで活躍した地元の人たちで、いっぱい。
多くの人が20〜30代の若者で、丸刈りで、こわもてな髭を生やし、
眉毛も細くて、さすがに入れ墨まではないけれど、
その状況に、緊張して、「失礼しましたー!」、と
ドアを閉めるところでしたが(笑)、なんとか平静を装い、
僕は隅の方でシャワーを浴びる。

露天風呂の浴槽では、その、だいぶ迫力のある若者たちの会話が耳に入ってくる。

「明日、ねぶた優秀賞の発表なんだろー、
 すっごい緊張すんな〜、」

「でも、最高に気持ちよかったし、
 悔いに残ることはねえよなぁ」

こわもての若者たちの間では、そんなピュアなことばが飛び交っている。

「あの最後の花火がせつねぇーんだよな」

「俺もう筋肉痛で腕が上がんねぇや」

まるで少年のようなきらきらとした会話が、いつまでも続く。
街ですれ違ったら、目を合わないようにと気を使ってしまうような、
そんな迫力のある若者たちが、こんなにも素直な会話。

銭湯での、そんな、なんとも美しい光景と、
ねぶたでの強烈な感動とが合わさりあって、
この上ないほどの、ぽかぽかとしたこころのまま
フェリー埠頭へと、夜の道をゆったりと歩きました。

暗闇の怖さのなかにある安堵感

23時過ぎ、旅のはじまり、夜道を駅まで歩いていく。
いつもは自転車だけど、一週間ほど戻ってこないので、
めずらしい、駅までの徒歩時間。

町の灯りのひとつひとつに敏感になる。
ここのはこんな色だったんだ、こんな配置だったんだ。
虫の鳴き声も、いつも以上に繊細に響いてくる。
まるで、僕の耳もとでささやいているよう。
足下に、突然ヤモリが登場。その俊敏さを目で追いかける。

旅に出るだいぶ前から、少し緊張していて、
でも、それを上回る、ワクワク感があって。
いつもより心拍数が上がっている感じ、心地よい具合に。
だから、普段よりも、いろんなことが敏感に響いてくるのでしょう。

夜行列車は、新潟へと向かう。

僕のとなりの席には、誰もいなくて、少し落ち着かない。
二駅遅れて、おばさんが乗ってきた。
ちょっとがっかりなような?、でも実は、ほっとしたような?。

車窓からは、ほとんどひとかげのない町並みが広がる。
そして、建物の灯りが、いつもより際立って浮かび上がる。
暖色系の灯りのもとには、家庭の団らんがあって、
蛍光灯の灯りのもとには、まだがんばって働いている人たちが。
僕は車窓に額を近づけて、ぼんやりとしている。
いろんな人が同じ時を、いろんなスタイルで過ごしている。
あ、今、家の灯りがひとつ消えた。

お腹が空いてきて、持ってきていたトウモロコシを食べる。
旅っぽくていいなぁ、とリュックに入れてきたのです。
でも、夜行列車で、寝ている人もいるし、
ちょっと迷惑かな、なんて思っていると、
となりのおばさんが、なんだか、ごそごそと。
ん、なんだろう、と思っていたら、
そのおばさんは、なんとカレーパン。
安心してトウモロコシを食べる。

夜行列車が、東京をだいぶ離れてからも、
まだまだ僕は、旅のはじまりの心地よい振動をたのしんでいる。
普段の生活の中では感じることのない、
いろんなイメージやアイディアが浮かんでくるので、
頭とこころは動き続けて、眠る気にもならず、
本を読む気にもならず、音楽を聴く気にもならず。

今までも、旅行中は、同じような気持ちになることが多い。
旅のなかで思い浮かぶイメージやアイディアの豊富さ。
日常に戻ると、そう大したことではなかったな、
というものも沢山あるけれど、それらを切り捨てても、
普段の生活と比べたら、ありあまるほどの数の発見があるものです。

毎日の生活でも、自動的に、こういう心境に持っていけたら、
もっとクリエイティブになれるかな、と思うけど、
そういうことでもないんだよな、とも感じたり。

気づくと、夜行列車は、灯りのほとんどない、
森のなかを走っていた。
車内の人はほとんど眠りについている。
窓の外はほんとうに、まっくら。
都会ではなかなか感じることのできない暗闇です。
僕は、ちょっとした怖さを感じけれど、
その気持ちを経過したあとに、なんともいえない
安堵感がこころのなかに広がってきた。

ときどき、ひとりになるということ。
それは、きっと、人が嫌だからということではない。
人としっかりと向き合いたいからこそ、
ひとりになる時間も欲しくなるのだろう。


明日は、朝6時発の秋田行きの各駅停車に乗る予定。
日本海に沿って、海岸線を走る、その景色がたのしみです。

2%増しの微笑み

大学のとき、教養科目で社会心理学を受講したのですが、
そのなかで出てきた、ウイリアム・ジェームズという心理学者の、
「楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しいのだ」という言葉。

それを実証する実験が紹介されました。
同内容のマンガを普通の表情で読んだ複数の人と
割り箸を口にくわえたまま、つまり、
強引に笑顔を作らせて、読んだ複数の人とで、
マンガの内容をどの程度面白く感じたかを比べるというもので、
結果は、割り箸をくわえていた人の方が、
より多く、面白く感じていた、という実験結果。

この他にも、「幸せだから歌うのではなく、歌うから幸せになる」、
という言葉もありました。





一週間ほど過ごした、北海道の、のどかな田舎町での時間。
普段の生活では、持つことのできないでいた、
ゆったりとした大きな視点をイメージすることができて、
自分がするべきこと、大切にしていきたいことなどが、
自然とふつふつと浮かび上がってきました。

山や海などの自然に囲まれた環境や、
すれ違う人たちの豊かな表情などがあたえてくれた、
影響が大きいと思うのですが、
それだと、東京での日常に戻ったら、どうなるのかな、と。

そういえば、この田舎町で過ごしている間は、
いつもの自分の表情より、常に、微笑み具合が2割増しくらいだったなぁ、
と感じて、そんなとき、ウイリアム・ジェームズの言葉を思い出したのです。

ということで、東京へ向かう飛行機の中から、
意識的に、ほんの少しの微笑みを大切にしてみた。
本を読みっぱなしでも、飛行機酔いすることなく、
お、なかなかいいかも、と感じているうちに、羽田に到着。

しかし、ここからが大変。
田舎町からのギャップもあり、駅構内の人の多さに戸惑う。
そして、ほとんどの人が、なにかに急いでいる。
眉間に皺をよせた、険しい表情があちらこちらに立ち並ぶ。

ここで、微笑み具合が2割増しなんてとぼけたことを考えていたら、
変な人だと思われるだそうし、迷惑になるなぁ、と感じたのですが、
それでは、なにも変わらない、と思い、
20%ではなくて、ほんの2%増しくらいの、微笑みを意識することに。
きっとこの2%が自分にも周りに対しても、大切なんだ、と言い聞かせながら。





そして家に到着してすぐ、夜から翌朝までのeuphoriaのスタジオリハへ。
旅行の疲れで、ちょっと体が重かったけれど、
一週間ぶりに3人で音を出すと、その気持ちよさで、すぐに元気になる。

新しいアルバム制作に向けた新曲作りの真っ最中。
曲作りの会話で、

「ドラムから入って、次はギターかな、ベースかな?」と僕が言うと、
ドラムスきのした先生が、自信と確信にみちた堂々とした口調で、

「ギース!」

「わわっ、どっちだよ(笑)!」

スタジオが大笑いで包まれる。

結局は、2%の微笑みがどうのこうの、
なんてことではなくて、
ほんとうに大切なことは、
ドラムスきのした先生のような存在なのかも、と思ったのでした。


そんなこんなで、東京での生活がはじまりました。

地元の本屋さん

どこか知らない街に行ったときの、
僕の楽しみのひとつは、地元の本屋さんに立ち寄ること。

しっかりとした本屋さんがある場合は、
郷土本コーナーのようなものがあって、
そういったところに並ぶ本を眺めることも、もちろん楽しいですが、
あまり人口の多くないような田舎街の
こじんまりとした本屋さんに並ぶ、
数少ない限られた本の中を、一冊ずつ眺るこということも、
東京の暮らしにはあまりない体験で、わくわくします。

そして、これにしようと、レジに持っていくと、
大抵は、おばあさんやおじいさんが
椅子に座ってのんびり会計をされていて、
にっこりやさしい笑顔と、その地元商店街のくじ引き券をくれたりします。
そのくじ引き券は10枚で1回とかで、本1冊では足りないので、
そのくじ引き券をしおりにして、読みはじめます。

そして、そのときの1冊が、その後の自分にとって、
とても大切な1冊になることも多いのです。

昨年の夏、北海道で各駅停車の旅をしている途中、
長万部という駅を降りて、商店街を歩きました。
小さな本屋さんに辿り着き、数少ない本から、
1冊の本を選びました。
以前に雑誌のコラムでその人の書いた文章を読んで、
なんとなくの興味を持っていた、内田樹のエッセイ。
各駅停車の中で、「この人はなんて頭がよいのだろう」と感動しながら、
大変おもしろく、ぐいぐいと読み進めたことを覚えています。

そして同時に、長万部の商店街を歩いて見た光景も思い出します。
多くのお店のシャッターがしまっていて、
人の数がまばらだったこと。
薄曇りの天候で、途中、小雨が降り出したこと。
ほとんど人通りのないところにある、
半分シャッターがしまったお店で、ミニたい焼き20個セットを、
自然体の美しい笑顔で焼き上げていたおじいさんのこと。


東京では、品揃えの多い本屋さんを選んで足を運び、
本を読んでもいい椅子でゆっくり眺めて、本を買ったり、
もしくは、amazonで、ポチッと家にいながら購入したり、
そんなことが習慣になっています。

なんて便利で、快適なんだろうと思うことが多いですが、
でも、田舎街の本屋さんでしか得ることのできないものも、
きっと、確かに存在しているなぁ、と思うのです。


立ち止まるペンギンたち

念願かなって、旭山動物園へ。

「動物たちには自ら、自然体で、とりたい行動をしてもらう、
 その姿をたのしんでもらうことを大切にしているのです。」

その日、もしペンギンの気分がいまひとつで、
外に出ようとしなかったら、
お散歩コースがいくら見物客でびっしりでも、中止になるそう。
そんなお話を飼育員の方に伺ったうえで、
のそのそゆっくりと登場してきた
ペンギンたちのお散歩姿に、こころがじんわりと。

キングペンギンは仲間意識が強い習性があるそうで、
ひとかたまりになったり一直線に並んで歩いたりします。
そして、その仲間意識のおかげで、
一番後ろのペンギンが立ち止まると、
それにあわせて全員が、その場に立ち止まるのですが、
その光景がなんともやさしくて、またまたじんわりと。

どこの動物園にもいるような、
トラやライオンやキリンもいるのですが、
そのどれもが、なんだかのびのびしているように感じました。
こんな近くで見たことないなぁ、というほど側まで近寄ってきて、
草食動物らしいキリンの穏やかな表情や、
肉食動物らしいトラの勇ましい表情が、そのまま伝わってくるのです。

この他にも、近くでみると、ライオンって
こんなに顔が大きいんだ、そしてまつ毛が長い!というような、
まるで小学生の感想文のようで、お恥ずかしいものばかりですが、
でも、こどもの頃のような純粋な感動を味わえるということは、
とてもすてきなことだよなぁ、と思ったり。
旭山動物園の素晴らしい環境やスタンスを
さまざまなところで感じました。

シロクマの無垢な表情や水に飛び込む姿を
実際に見たあとで、説明ボードにあった温暖化などの
環境問題の解説を読むと、
よりいっそう、どっしり響く感じがしました。
単純な僕は、できることから始めようということで、
家に戻って、電気の消すタイミングが小刻みになったりしています。


雪の道でも暖かい

知らない街を歩くのはとてもたのしい。

今、北海道で、僕が過ごしているこの街は、
すぐ近くに山へ向かう道があり、それと反対方向には、
海岸沿いを歩ける道があり、どれだけ歩いても、
新たな風景が広がってきます。

雪を踏みしめる、ふさふさという音を楽しみながら、
滑らないように、ゆっくりと歩く。
その途中、こじんまりとした珈琲店を見つけました。
コーヒー店ではなく、珈琲店と書きたくなるような、
そんな雰囲気のお店。

かっちりと紳士的な佇まいでありながら、やさしそうなマスターは、
僕を見て、地元の人ではないなというような、おやっ?とした反応。
少しかしこまった表情で、珈琲をじっくりと煎れてくれる。

香り豊かな珈琲を味わう。
濃厚な深みがあって、それでいて、自然な舌触り。
新鮮な豆とおいしい水の感触がそのまま伝わるような。
至る所にコーヒー屋さんが立ち並ぶ東京ではなくて、
のどかな田舎街で、こうしておいしい珈琲と出会えたことに感動。

おいしい珈琲を飲みながら、本をゆっくり読み、
思いついたことをノートに書き込んだりして時間を過ごし、
お店を出るときに、マスターといろいろとお話。

このマスター、30年間、学校の先生をされていたそうで、
校長先生も長く経験されて、退職後、
それまで培った18年間の珈琲研究を生かし、
長年の憧れだった、珈琲店を昨年、オープンされたそう。
そういわれてみれば、確かに、校長先生の面影のようなものがあるなぁ。
以前にケストナーの「飛ぶ教室」を光文社の新訳で読んだのですが、
そのお話に出てきたやさしくてかっこいい校長先生を思い出したり。

僕がだいぶ長い時間、本を読んで、ノートを出していたので、
それを見ていたマスターは、にこやかに、こう話してくれました。

「ここで、こうして若い人がひとりで、
 ゆっくり勉強しにきてくれるのが、私の夢だったんですよ。」
「もちろんおばさんおじさんで賑わうこともうれしいけどね、
 このあたりは、若い人たちが少なくて。」

僕が音楽をしていることをお話したので、
今度ぜひ、よいCDができたら聴かせてよ、
といっていただいて、お店を後にしました。
センスのいいクラシックが流れていたから、
僕の音楽は大丈夫かな、なんて思いながらも、
またここに来るときがとても楽しみになりました。

日が落ちた後の雪の道は、凍えるほどの冷え込みですが、
寒い寒いこの街で、なんとも暖かい出会い。


国際雪合戦大会

雪合戦と聞くと、小さな頃に、
思いっきりはしゃぎながら、遊んだ記憶が色濃くあり、
第21回、国際雪合戦大会と聞いて、どういうことなのかと、
不思議な気持ちと楽しみな気持ちで、雪が降る中、昭和新山へ。

会場には、ヘルメットをかぶった真剣な眼差しの選手たちと、
大勢の観客で盛り上がっていて、大混雑の人混みの隙間から、
背伸びをしてコートを覗き込む。

ルールはシンプル。
7人チーム制で、相手に雪玉を当てられたら、退場、
障害物(雪の壁)に隠れたりしながら、
雪玉をかわし、相手コートのフラッグを奪う、
もしくは、相手全員に雪玉を当てた時点で、試合終了。

ことばで説明すると、なんてことないですが、
実際、ものすごいスピーディーな試合運びのなかで、
繰り広げられる瞬間の駆け引きは、まさに頭脳戦で、
見ているこちらもついつい興奮してきます。

会場のあちこちからは、女の子たちの、
「すてき!」、「かっこいい!!」という声が飛び交い、
はじめの頃は、なんともおもしろい光景だなぁ、なんて思っていた僕も、
なんだか、いつのまにか、その感覚に違和感を覚えなくなって、
真剣に見入っていたり。

"YUKIGASSEN"として海外でも、盛んな国がいくつもあって、
フィンランドで、欧州選手権が開催されているそうです。

新たな競技のおもしろさに出会った一日。

毎日早起きできそうな一点の光

ちょっとした用事があって、
そしてちょっとした息抜きを兼ねての北海道旅行。
今回は、フェリーにて、大洗港から苫小牧まで20時間。
大洗港を深夜1:45に出航。

太平洋に見える朝焼けを見たくて、
朝5:30頃に起きて、真っ暗な海を眺めていると、
だんだんと、景色が見えてくる。
薄暗くてぼんやりとして、海なのか空なのか分からないほどに、
そのふたつが溶けあっていて、ひとつになったそれは、
だんだんと広がってくるオレンジ色に染められながら、
刻一刻とさまざまな表情を見せてくれる。

雲が出てきて、日の出の瞬間こそ見えなかったけれど、
冬の海を超えて、雲間から見えた一点の光のまぶしさで、
起きているのに、眠りのなかの世界のような不思議な気分。

こんな風景を味わえるのなら、
朝の苦手な僕も、毎日早起きできるようになるなぁ、と思ったり。

緩やかな船の揺れは心地よくて、
いつも以上に、読む本のなかの風景がふわふわと浮かんでくる。
途中、持ち込んだmacで、これまでに録音した音素材の
編集をしたり。こちらもはかどる。

夜8:00過ぎに苫小牧港に到着。
降り積もった雪、肌を刺すような寒さ。
ちょっとの間、東京から離れた場所で、
感じるものを大切にしたいと思っています。

すべてはすでにあるのかも

伊達紋別駅から長万部駅へ向かう各駅停車。
内浦湾に沿って走る列車の車窓からの風景。
小さなころ、明け方の夜行列車から同じ風景を見た。
そのときの、「わー、とってもいいなぁ」と感じた記憶。

その感覚は、今も変わることはない。
幼少のときに、なんとなく好きだなぁ、いいなぁと、
感じていた、そのぼんやりとした面影を
鮮明に、明確にしていくことが、
大人として生きていく日々なのかな。

歳を重ねるごとに
まるっきり新しいものが
増えていくように思うけど、
そうではなくて、
もしかしたら、自分のなかに、
すべてはすでにあるのかも。

音にならない音

北海道の共和町にある神仙沼へ。
心地よい緑に囲まれた木道をのんびりと歩く。
木々に囲まれた場所に立っていると、
しーんという、音にならない音を感じる。
その感覚が大好きなのです。

こうして自然に
触れることができるときには、
自分の内側がとても調子よくなってくるのを感じます。
自分の内側の調子は、
自ら意識を向けて改善しようとしても、
どうにもできないものなので、
こういう感覚は、ほんとうに貴重なものです。

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日常のなかのリス

朝、早起きして、登山に出かける。
北海道大滝にある、徳舜瞥(トクシュンベツ)岳の
頂上を目指しました。

中学高校のときは、毎年学校で登山に行っていたのですが、
ひとりだけで登山をするのは初めてのことで、
ペース配分のことなど、やや不安もありながら歩きはじめました。

ペース配分を自分ひとりでコントロールするという意識から、
いつも以上に、さまざまなことを
敏感に感じながら、山頂を目指しました。
そんななかで、感じていたことは、
なんだか、普段の生活での時間の使い方にも、
そのまま、あてはまりそうことがいくつもありました。
例えば、このようなもの。

(1) 頂上がものすごく遠く遠くに見えて、
  これは無理なのではと、心配になるのですが、
  あまり遠くを見すぎないように、足下に意識を向ける。
  そして、足下だけでは集中が途切れることもあるので、
  一合目、二合目、というように、目前の目標を意識する。

(2) 休憩はとても重要、でも、休みすぎると、
  疲労感が出てきてペースが崩れるので、
  適度な休憩時間をこころがける。

(3) 傾斜がきつくなってきて、息苦しくなってきたとき、
  目の前に小さなリスがあらわれる。
  餌をさがして土をかきわける作業に必死なリスは、
  こちらになかなか気づかずに、
  僕の手が届くくらいの距離で、やっと気づいて、
  ぴょんっと、飛び跳ねるくらいに慌てながら、
  草むらに隠れていった。
  そのしぐさがなんともかわいらしいこと。
  そして、そのかわいらしさのおかげで、
  それまでの息苦しさが不思議なほどに、
  とこかへ吹き飛んでしまう。

(4) 途中、人の声がきこえて、すれ違うときに挨拶。
  だいぶ疲労感に襲われていても、
  人に会うと、その瞬間、しゃきっと姿勢が正しくなる。

このなかでも、特に、(3) のできごとが僕にはとても新鮮に響いて、
日常のなかのリスとは、どんなことなのかな、と考えてみたり。
リスは、すばしっこいですし、小さいですし、
自分が、疲れてたり、忙しかったりすると、
なかなか見落としがちになるかもしれないけれど、
そんなときにも、リスに出会えるゆとりが欲しいものです。

そんなこんなで、無事頂上に、到着。
最高の天候にも恵まれて、
360度の素晴らしい眺めを堪能できました。
特に、洞爺湖越しに見えた大きな海(内浦湾)、その風景は、
ただただ、呆然と眺めてしまう、美しさでした。
そして、頂上で寝そべりながら、
お気に入りのヘッドホンで、とっておきの音楽を味わう。
視界には、手の届きそうなくらいに、すぐそこにある雲、それだけ。
あまりに気持ちよくて、二時間近く、そうして過ごす。
これはほんとうに至福のとき。

そういうわけで、ついでにもうひとつ追加。

(5) 頂上で感じることのできる、至福の心地よさを思い描く大切さ。

*

帰りは、名水亭という大きな露天風呂の温泉で、のんびりと。
こころがたっぷり満たされた一日でした。

*

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ドレッシングなしで

北海道の伊達という街で、
のんびりとした時間を過ごしています。

真夏の最高気温が23度という過ごしやすさや、
コンビニに入って、店員さんの「ありがとうございました」が、
なんともあたたかな響きだったり、
道路が広々としていてゆとりのある感じだったり、
などなど、うれしいことづくしなのですが、
そんななかでも、特に感動するのが、野菜のおいしさ。

こんな文章では、そのおいしさが、
ほとんど伝わらないと思いますが、
うまみが口の中、そして体中を、
ふわふわ広がる感じなのです。
どんな野菜も、ドレッシングなしで
食べたくなってしまいます。

北海道はいろんな食べ物がおいしいことで有名ですが、
それはきっと、その素材がすばらしいからなのですね。

普段、東京で食事をするとき、できるだけゆっくり
味わおうなんて意識してみることがあるのですが、
こんなにおいしい野菜を食べるときは、
無意識に味わってしまうというのかな、
自然に、噛み締める行為に意識が向かい、
食事をしているときが、なんとも豊かな時間になって、
そして、食べ物をいただくことへの感謝の気持ちも膨らんできます。

これから数日間、北海道の時間を十分味わって、
しっかりと充電できたらと思っています。


迷子という概念すらなくなる

大きいものと小さいもの、豪快なものと繊細なもの、
そういったものが、ひとつのなかに、
うねるように混ざり合う感覚は、
音楽にも絵画にも小説にもある。
そんな作品に出会うと、
今、自分がどこにいるのか分からなくなる。
それは、迷子になるというわけではなくて、
なんというか、迷子という概念すらなくなる、
ただただ空っぽになる、そんな感覚。

青森県立美術館に一歩足を踏み込んだ瞬間に広がる、
縦が約9メートル、横は約15メートルもの大きな絵。
マルク・シャガールのバレエ「アレコ」の背景画。
大きな3作品がホールを囲むように配置されていて、
その中心には自由に移動できるイスがおいてある。
僕はそこに座り、時間を忘れて、
ただただじっと、ぼんやり、眺めていた。
特に、"第1幕 月光のアレコとゼンフィラ"
という作品の存在に圧倒されて、
まさに、空っぽになる感覚を味わいました。

青森県立美術館の建築そのものも、大変美しくて、
知らない間にどんどんと時間が過ぎていて、びっくり。
また必ず足を運びたい、大切な美術館のひとつになりました。


夕方、急ぎ足で、青森港に向かい、函館行きのフェリーへ。
ほとんどの時間を外のデッキで過ごす。
ちょうど、夕暮れの見える時間帯を選んで乗船したのです。
天候にも恵まれ、思わず息をのむような、
どこまでも広がる海に浮かぶ、壮大な夕暮れに出会いました。
言葉にはなにひとつならないけれど、
からだのすべてが、じーんと、ゆったりと震え上がる感覚。

こういう風景を普段も見ることができたら、
現代社会に多発しているような、
想像を絶する犯罪は起こらないのでは?と思う。
でも、実際には、都会の込み入った環境や、
身の回りに情報があふれかえるような日々などで、
こうした大きな自然の美しさに、日常、触れることは、
なかなか難しいことなのかもしれません。
それでも、そうした日々のなかで、ほんのわずかでも、
この夕暮れを、自分の胸につめ込んでいられたらいいな、
と思ったのでした。


夜9時過ぎ、北海道に足を踏み入れると、
さらっとした涼しさに驚く。
早くも東京に戻りたくなくなる感覚が沸き上がる。

*

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"あおもり犬"

こころは僕に旅を続けてほしくないのです

北海道まで鈍行列車の旅。

いつもは飛行機で行っていたところを
昨年はちょっと気分を変えて、
寝台列車の北斗星の旅をしてみました。
そのゆったり感がなんとも心地よかったので、
今回はさらにゆったりということで、
特急列車を一切使わずに、
北海道に行く計画を立てたのです。

朝5時過ぎに家を出て、
9本の電車を乗り継ぐ鈍行列車の旅のはじまり。
その長い時間を見越して、
選び抜いた3冊の本をリュックに入れてきたけれど、
田舎の駅ののんびりとした雰囲気を味わったり、
車窓に広がる大きな風景に
引き込まれている時間がほとんどで、
結局、ちょうど1冊を読み終えたときに
青森駅到着、夜9:30頃。

盛岡を過ぎて、青森に向かうときに見えた、
穏やかで大きな田園風景。
なんだかわからないけれど、じーんとしてしまう。
東京で過ごす毎日が、いかに、
人と人との距離や、建物同士の距離が近すぎるのか、
そんなことを考えていました。
ほんとうは人間にとって
ものすごく過酷な日々を過ごしているのに、
良くも悪くもそれに対する違和感がなくなっているんだよなぁ。

読み終えた1冊の本というのは、
長めの旅行では、よく持ち歩いていて、
今までに何度も読んでいる、”アルケミスト”という物語。
高校生のときに、仲のよかった女の子に
誕生日プレゼントでもらったこの本。
相当、読み込んだので、そしてよく持ち歩いたので、
だいぶ古びてきているのですが、
ここには、いろんな思い出が詰まっています。
読むたびに引き込まれるポイントが変わってくるのがおもしろい。

「こころは僕に旅を続けてほしくないのです。」

「それは今までに得たものをすべて失うかもしれないと、
 こころは恐れているから」

「それならばなぜ、僕のこころに耳を傾けなくてはならないのですか?」

「なぜならば、こころを黙らせることはできないから・・・」

ゆっくりと移ろいでいく車窓からの景色を眺めながら、
そして、同時に自分のこころに耳を傾けながら、
物語はどんどんと広がっていったのでした。


今日は青森で一泊、
明日は、前々から行ってみたかった、
青森県立美術館に行く予定。
そして夕方、フェリーで函館へ。


ささやかなもの

先週末、先々週末と、organic stereoとして、
2007 Apple Store Live Tourと題し、全国各地で演奏してきました。
(残すは11/18、渋谷Apple Storeでのツアーファイナルです)
短期間のうちに、これほどさまざまな場所を訪れたことは初めてで、
そんな旅をする中で、感じたことがありました。

*

自分の知らない場所や慣れていない場所を訪れる時は、
とても緊張するし、期待よりも不安が大きくて、心細い気持ちになります。
でも、その分、そこでの出会いのひとつひとつに敏感になり、
普段の暮らしの中では気づくことのない、とても些細なことに対しても、
驚いたり、うれしくなったり、こころが温かくなったり、感動したり、
そして、感謝の気持ちがひしひしとこみ上げてきます。
こんなにも沢山の人やものに支えられて生きていることを実感します。

こうした気持ちを普段の日常の中でも感じることができて、
ささやかなものに対して感謝することができたら、
とてもすてきなことだと思います。

「人生は旅である」という表現は、
少々、ありふれていているもののように思えてしまうのですが、
実際の旅の中で感じることのできる、
ささやかなものに対する感謝の気持ちを、
普段の暮らしの中でも意識できたらいいなぁという、
そんな観点からアプローチしてみると、なんだか新鮮に響きます。

自然と体が動き出す

せっかくの北海道、早起きをして、
朝の札幌の街をお散歩しようと思っていましたが、
昨夜はだいぶ夜更かししてしまったこともあって、
目が覚めたのがチェックアウト間際。ちょっと慌てながら、部屋を出る。

千歳空港に着いてからは時間がたっぷりあったので、
宮越屋珈琲でのんびりと。僕の中で、珈琲ブームは相変わらず。
空港の売店でのじゃがぽっくるの大人気ぶりに驚く。

仙台空港は、時間帯も関係して、人の数もまばらで、
建物もきれいで、ゆとりのある心地よい空港でした。

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先週の福岡に続き、仙台も初めて訪れる場所。
どんな街なのか、わくわくした気持ちもありましたが、
それ以上に、euphoriaとしてのライブ経験もなければ、
ライブにお誘いできる知り合いもいなく、
観に来てくれる方は果たしてどれだけいるのかどうか、
そんなわけで、だいぶ過酷な状況を想定しながら、
覚悟を決めて、仙台Apple Storeへ到着。

Apple Storeのスタッフの方のてきぱきとした、
そして親切な対応にこころが落ち着く。
これまでに各地のApple Storeでお世話になってきましたが、
どのお店のスタッフの方も大変親切で、
ますますAppleが好きになってきています、今日この頃。

そして、本番。
昨夜のホテルでの最終リハのおかげで、落ち着いた心境で演奏ができました。
1〜2曲目の演奏を終えて、顔をあげると、驚く程にたくさんのお客さま方。
大きな拍手やorganic stereo liveでは初めての歓声までいただく。
リズミカルな楽曲では、踊り出す方まで(!)。
organic stereoのライブでは、いつの日か、
みんなが心地よく眠たくなるような、
ゆるーいセットを組んでみたいなぁ、思っていましたが、
自然と体が動き出すような、そんなセットも素敵だなぁ、と思いました。
ライブを観に来て下さった方、たまたま通りがかりで聴いて下さった方、
本当にどうもありがとうございました。
またぜひ仙台でライブができたらと思っています。

帰りの新幹線では、定番の牛タン弁当を。
底にある紐をひっぱると加熱してほかほかになるのですが、
これが、とても美味。さすがは駅弁グランプリ。


自宅に戻ってからの記憶はほとんどなくて、
気づいたら朝をむかえていました。
札幌に出発したのが、一週間くらい前のことのように思える程に、
いろいろなことに出会い、そして感じて、考えて、
貴重な時間を過ごすことができました。

先週末は福岡、大阪、名古屋、そして、今回の札幌、仙台。
短い間に、これほど沢山の場所に行ったことは初めてでした。
残すは、渋谷Apple Storeでのツアーフィナル、
このツアーで出会うことのできた、
沢山の人たちや場所に、感謝の気持ちを込めて、
よい演奏ができたらと思っています。

心地よい冷え込み

前日の夜に、euhporiaのライブ、その後打ち上げに参加して、
深夜に自宅に戻り、それから札幌、仙台でのライブに向けての荷物つくり。
そんなわけで、あまり眠ることができないまま、羽田空港に向かう。

飛行機は、うとうとしているうちに、千歳空港に到着。
寝ぼけ眼のまま飛行機を降りると、びっくりするほどの冷え込み。
そこで、完全に目が覚める、おまけに、euphoriaライブの疲労感も吹き飛ぶ。
僕が小さな頃、スキーをするために、冬の北海道によく来ていて、
その頃の楽しい記憶があるからなのでしょうか、
北海道に到着したときに感じる冷え込みが、なんとも心地よいのです。

札幌まで向かう電車から見える風景。
木々の葉は、赤や黄色に色濃く彩られています。
立ち並ぶ住宅の屋根の多くは、雪国らしく真っ平ら。
あの上に沢山の雪が積もるのも、もうすぐなのかな。

札幌Apple Storeに到着。

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ライブを観に来てくださった方、どうもありがとうございます。
ライブ中、mac上で自分が組んだプログラミング処理がうまく動作しない部分があり、
ちょっと冷や汗をかいてしまいましたが、
なんとか、流れを崩さずに演奏はできてひと安心。
観に来て下さった方に、euphoriaとしてもorganic stereoとしてもぜひまた北海道で、
ライブをしてください、とうれしいお言葉をいただきました。
ぜひぜひ実現できたらと思っています。

ライブ後には、僕の伯母の料亭で、
新鮮な北国の味を満喫。おいしかったなぁ。
ちょっぴり贅沢をさせていただきました。


ホテルに戻ると、
先ほどのライブでのプログラミングの修正部分の確認。

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最後に、明日の仙台でのライブに備えて、
すべての曲順を通して、よし、ばっちり、と思った頃には、
頭が冴えわたっていて、眠れそうになかったので、
深夜のすすきのの街をお散歩。
金曜日の夜ということもあって、人がとても多い。
心地良さそうなほろ酔い加減のおじさんたち。

僕は、コンビニでお酒を買って、部屋でひとり、ふわふわと。
扇谷一穂さんの歌う”Moon River”と共に、そのままぐっすりと眠りにつく。


ハロウィンとおいしい天むす

昨日の心斎橋apple storeでのライブ後に、
観に来てくれた方に差し入れで、ハロウィンのお菓子詰め合わせをいただいて、

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(ありがとうございます!)

そうか、今は、ハロウィンなんだと気がついて、
今朝、名古屋行きの新幹線に乗る前に、パン屋さんで、パンプキンのスコーンを購入。
電車の旅は、わくわくします。

名古屋では、定番の味噌かつを食べました。美味。

名古屋栄のapple storeでは、入り口にorganic stereoの、
大きな看板をおいていて下さり、うれしかったです。

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演奏では、曲のつなぎにつまずいてしまった点が残念でしたが、
ひとつひとつの曲に対しては、ほどよい集中ができました。
観に来てくださった方、どうもありがとうございました。

名古屋で暮らしている、高校時代の友人2人も観に来てくれて、
ライブ後にはしばし談笑。久々の再会、有意義な時間。

そして、その後、東京に向かう新幹線のなかでは、
名古屋のおいしい天むすを。とても美味。

重たい荷物で肩が麻痺しながらも、無事、帰宅。

たくさんの人たち、景色、味覚に出会いながら、内容の濃い3日間でした。
来週末の札幌と仙台も充実した時を過ごせたらと思っています。

心境をそのまま音に

心斎橋apple storeでのライブ、
沢山の方が観に来て下さって、とてもうれしかったです。
どうもありがとうございました。
観に来て下さった方々の暖かな雰囲気のおかげで、
演奏もよいものにできました。

organic stereoの楽曲は、euphoriaの楽曲と違って、
ライブ演奏のことはひとまず想定せずに作っています。
ですので、今回のApple Store Live Tourでは、どのようなライブにしようかと、
だいぶ悩みながら、試行錯誤しながら、セットを考えてきました。

例えば、パソコンに完成されたデータをあらかじめ仕込んでおいて、
それを再生するだけ、というスタイルでは、
毎回のライブでの出来不出来はほとんどなく、
だいぶ退屈になってしまうのでは、と思います。
僕がeuphoriaとしてのライブをする時には、
よいライブが出来たなぁ、と思う時もあれば、
悔しいほどに、よくないライブになってしまうときもあります。
そして、そのよくないライブの悔しさをバネに次回のライブに備えたり、
また、よいライブというものにも、演奏がスムーズにいった時、
感情をうまく込められた時、グルーヴ感がうまく出せた時など、
さまざまなバリエーションがあります。
このように、演奏者もお客さんにも予測不可能な要素が満載であるからこそ、
ライブの感動は生まれてくるのではないでしょうか?

そんなことを考えながら、
organic stereoのライブで大切にしたいなぁ、と思ったのは、
その時その時の自分の心境をダイレクトに音に反映できるものに、
ということでした。
今日の青空は心地よいな、じめじめした天候だな、
さっき食べたお好み焼きがおいしかったな、というようなこと、
観に来てくれた方たちの表情、しぐさ、etc...
それらを感じながら、音を奏でていく。

ですので、心斎橋apple storeでのライブで、お客さんの暖かな雰囲気のおかげで、
よい演奏ができたことが、本当にうれしかったのです。


ツアー初日

ツアー初日、福岡でのライブ観に来てくださったみなさん、
どうもありがとうございました。
のびのびと演奏が出来ました。

ライブ後には、すぐに大阪に向かわなくてはならなかったので、
初めての福岡の街をゆっくり歩くことができずに残念。
でも、リハ前に食べた博多ラーメンはとても美味でした。

大阪に向かう新幹線の中では、ちょっと慣れないことを。
ビールと明太子のおつまみという組み合わせ。
バーチャルサラリーマンを体験しました。

大阪に着いたら、おいしいお好み焼きを。

一日にこんなに沢山の場所へ移動したことは初めてで、
その場所その場所の人柄や味や空気感が色濃く感じられた一日でした。

明日の大阪ライブもよいものに出来たらと思っています。

ちょうどミナミホイールの最中、apple storeでのライブ後には、
いろんなライブが観られるのも楽しみです。

欲張りなしあわせ

「行く言葉が美しければ、来る言葉も美しい」。
今日行ってきた有珠善光寺に書かれていたことば。
いつもだったらお寺に書かれていることばを覚えていることは少ないけれど、
北海道の過ごしすい気候、ほのぼのとした時間の流れの中を旅している時に出会うと、
なんだか、不思議とこころに響くものです。

今日は有珠善光寺まで自転車で出かける。
途中、大きくゆったりとした海岸沿いの道があり、
そこで少し休憩。
これだけ大きな美しい海岸でも、誰一人いない。
北海道はどれほど広いのでしょう。関東近郊では、まったくありえない光景です。
静かな海岸に、僕ひとりと、たくさんのカモメたち。
やさしく打ち寄せる波の音に耳を傾けて、その音を録音(よい素材になりそう)。

善光寺自然公園にはちょっとした散策路があって、
そこではもう、ほのかに紅葉が始まっていました。
東京とは一ヶ月ほどの時間差があるのでしょうか。
僕の好きな季節を二回分も楽しめるという、
なんとも欲張りなしあわせです。


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大地の彫刻

以前から行ってみたかった、札幌のモエレ沼公園へ。
前から名前は知っていたけれど、
いつだったかのBRUTUSでの公園特集を読んで、
(この号は本当におもしろかった)
これは行かなくては、とこころから楽しみにしていたのでした。

彫刻家イサム・ノグチにより、
公園全体を大地に刻まれたひとつの彫刻として捉えて作られたこの公園。
1歩足を踏み入れたその瞬間に、
すべてが満たされるような、最高に心地よい気分に。

これだけ広大な場所に、ゴミがひとつもないことにも驚きました。
ゴミを捨てないで、とうような看板や、ゴミ箱すらひとつも存在していない。
それで、成立することができるのは、
「大地の彫刻」の美しさが、
訪れる人のこころにまでしっかり届いているからなのでしょう。

僕は公園で時間を過ごすことが好きで、
今までにいろいろな所に足を運んでいますが、
これほどまでに美学とコンセプトを貫いている、
モエレ沼公園との出会いは、とても大きなものでした。

今度は、まるまる一日、のんびり過ごしてみたいものです。



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夜行列車

一週間ほどの北海道への旅行。
飛行機でもよかったけれど、今回は、夜行列車で。

小さな頃に一度、夜行列車で北海道まで行ったことがあるのですが、
そのときのわくわくした感覚が忘れられなくて。
寝てしまうのはもったいないけれど、心地よい列車の揺れに眠気を誘われて、
はっと目を覚ますと、車窓からは、
朝焼けに照らされた穏やかで大きな北海道の大地が広がっている。
その時の感動は、とても鮮明に覚えています。

上野発、北斗星1号。
ホームに待機する濃紺の車両を目にすると、ますます胸が高鳴る。
お母さんと一緒に小さな男の子が列車に乗ろうとしている。
その男の子の少し緊張しながらもわくわくしていて、
興奮をおさえきれない、そんな様子を見て、
僕が小さな時も、きっとこんな感じだったのかな、と微笑ましくなる。

上野を出て、しばらくは都会の街並みを列車が走り、
見慣れたはずの通勤帰りの満員電車も、
ベッドに横になりながら眺めると、とても不思議な光景に見えてくる。
飛行機だったらとっくに北海道に到着している頃、
列車はまだ宇都宮を通過したところ。
こののんびりした感じが好きです。街の風景がゆっくりと移り変わっていく。
僕はほとんどの時間、車窓に額をくっつける姿勢で、外の景色を眺めていました。
曇り空だった為、残念ながら、満点の星空を眺めることは出来なかったけれど、
そのかわり、ぞっとするほど恐ろしい、暗闇を体験できました。
そんな中、ときおりぽつんと家の灯りが見えた時のなんともいえない安堵感。
街灯もないようなところで暮らす人が過ごす時間と、
満員電車に乗っている人が過ごす時間、
それは大きく異なるものだと思うけれど、同じ速度で流れていることを、
夜行列車の車窓からは、なんとなく感じることが出来ました。

青函トンネルを抜けて、ぼんやりと目を覚ますと、
広がる北海道の大地と海が僕の目に飛び込んでくる。
景色そのものももちろん美しいけれど、
夜行列車で過ごした時間を通して、この風景に出会うことが、
格別の感動をあたえてくれるのかな。

さてさて、北海道ではどんな時間を過ごそうか。