2005年05月03日
続・アフォーダンス1
ついにここに書く時が来た・・・。多分僕の中で、ちょっと書くのが怖くて仕方なかったのが正直な話です。何か、あの二月からあっという間に息つく間も無く2ヶ月も過ぎてしまった。ここで明日と言っていたアフォーダンスの続きを書きます、はい。
アフォーダンスとは環境と人間の相互関係だと言いました。人間の外にある環境の情報をピックアップするためには、学習する事によって獲得出来るものもあれば、学習しなくてもピックアップする事が出来るものあり、様々です。ギブソンは人間の視覚的な部分のアフォーダンスを中心に研究していましたが、それだけではなく人間の聴覚、味覚、触覚などあらゆる感覚で情報を獲得する事が出来ます。現在では特に触覚など身体とモノとの関係の中のアフォーダンスというのが注目されているようです。
壁に寄りかかるとか、椅子に座るとか、地面の上を歩くなどというのは、これらは壁と、または椅子や地面と人間の直接的な関係の中で生まれた、かなり初歩的なアフォーダンスであると思います。それに対して学習して獲得するというアフォーダンスというのは、例えば具体的にこんな話があります。
あるリハビリセンターで、交通事故で両足を無くした方がリハビリの1つとしてプールを泳ぐ事になり、プールの中に入りました。しかし事故後水の中に入っていなかったその人は、以前の「足のあった体の状態」の泳ぐ感覚しかなかったので、当然のごとく、最初は溺れてしまいます。しかし何時間しているうちに、上半身を上手く使って、上下にクネクネさせながら丁度海鷂魚(エイ)の様に泳ぐ様になったそうです。これは完全に足を無くした人の身体と水との間で生まれた、新しい水の情報をその人が獲得したという事が出来ます。
他にもスポーツ等は分かりやすいと思います。僕はサッカーをやっていたのでよく分かりますが、ホントに良いシュートが蹴れた時というのは、自分の足とボールが「一つになった様な」感覚があります。特に力を入れている訳でもないのに、とんでもないシュートになってしまうのです。(こうズッバーンと。いやズバーンかな?どっちかな・・・)
また僕はドラマーなのでドラムでも同じです。ドラムから出るリズムがホントに気持ちよくグルーブする時は、自分の身体と太鼓が一体化した感覚があります。何かホントにしかしこんな感覚というのは、すぐ獲得できた訳ではなく練習して練習してやっと「分かってきた」感覚なんです。(とか言うと、自分がすごい練習しているみたいに聞こえますが、そういうつもりじゃないです・・)
また触覚だけでなく聴覚的なアフォーダンスの例でこんな話もあります。缶詰の工場で、最終的に缶詰の中身が不良品かどうかをチェックする時、機械ではなく、「打検士」という人がいて缶詰の上を叩いて不良品を瞬時に見分けているそうです。既にフタがされていて中身が見えず、しかもベルトコンベアでどんどん流れてくる缶詰を「打検棒」と呼ばれる、直径20センチくらいの何の変哲もない鉄の棒で全て素早く叩きながら、不良品を見つけ出してしまうのです(僕もテレビで一回見たことありますが、ホントまじすごいです・・・)。しかも99%位の割合で。打検士さん曰く「叩いて、音を出してさ、その音を聞き分けるんだよぉね」らしいです。だから缶詰を叩いてちゃんとした音が出せる事と、その音を聞き分けられるようにならないと出来ないんですね。これも打検士さんが缶詰の情報を獲得している訳であり、もちろん訓練した結果のなせるプロの業だと思います。
このように挙げてみると何となくアフォーダンスという感覚が分かってもらえるでしょうか・・・?前書いたときにアフォーダンスは「脳は通らずに」直接モノの情報は知覚されると書きましたが、それはアフォーダンスの感覚を上手く伝えるためにそういう表現を使っただけで、正確には、おそらく「脳は何らかの形で」通過しているんだろうと思います(じゃないと、生物学的におかしいとか言われそうなので・・・)。ただ先程例で挙げた感覚というのは、いちいち良く頭で考えながら獲得したモノの情報ではなく、人間とモノの直接的な関係の中で獲得した情報であると思います。生理学者のニコライ・ベルンシュタインという人はこのような能力を「巧みさ」と言いました。この巧みさこそアフォーダンスを獲得した結果であると言える事が出来ます。
そして僕はなぜこのアフォーダンスに注目したかと言うと・・・という事で続きはまた明日書きます。