共鳴動作

自分という「主体」と「他者」あるいは「物体」との関係は、年齢が増すにつれて、離れていくという。

 赤ちゃんの頃は、自分がどういうものかという「自我」の認識ができず、目に入ってくるもの耳に入るものすべてが、あたかも自分であるかのように認識していて、まるで他者との距離がない。例えば、目の前にジャンプしている人がいれば、自分もそのジャンプしている人であるかのように、ジャンプする仕草をする。もっとも幼児心理学的には、このような「模倣」しているような行為を原始的な「共鳴動作」考えられているようだ。

年齢が増すにつれて、「自我」が芽生え始めると少しづつ「他者」や「他の物体」を認識し始める。知識や教養、経験などが蓄積すればするほど、目に入るもの、耳に入るものの「対象」と、自分との立ち位置との距離を無意識にはかって、自分のいらないものは遠ざけたり、気に入るものには近づいたりする。

しかし、僕くらいの年になっても、今までの蓄積された知識、教養、経験等を全く無視して、原始的な「共鳴動作」が行われる余地はないんだろうか?またはそのような対象はないんだろうか?特にそのような行為を誘発する対象物として、音楽とか絵や映像等の芸術的なものに果たしてそれがあるのか?

とてもそれが気になってしょうがない。