2002年09月15日
レタスの黄緑色
「日記に書くネタが思いつかん……。」
何とはなしに友達に送ったメール。
返信には「じゃあ虚無の日々について書いたら。」とあった。
虚無の日々……?
別に虚無であったわけではない。
今日は昼間、代官山に行った。
もしかしたら、何気ないことを面白く文章に組み立てるセンスが、僕に足りないだけなのかもしれない。
でも今日、とりたててここに書くようなことを感じなかったか、もしくは今思い出せないのは確かだ。
そしてふと思った。
人は年を重ね、経験をつむことで、日常の小さな出来事に対する感覚が鈍くなっていくのではないだろうか、と。
小さい頃、”一日”は膨大な時間だった。
全てが新鮮で、全てに興味を抱いて、全てに対して感覚が向けられていた。
平凡な一日など、存在しなかった。
いや、本当は平凡な一日なんて、今だってどこにも存在しないのかもしれない。
ただ感覚が鈍感になって、いつものこと、と思い込んでいるだけなのかもしれない。
この間、僕が小学校1年の時に書いた日記を見つけた。
そこに書かれていた「レタスをあらったら、ものすごく黄緑でびっくりした」という1行を読んだとき、僕は衝撃を受けた。
気づかないうちに、色々なものを失ってきたことを知った。
でもその時、それを書いた時の感覚が、ぼんやりとではあるが蘇ってきたのは救いだった。
レタスの鮮やかな黄緑色に驚くような研ぎ澄まされた感覚が鈍ってしまったのは、仕方がないことなのかもしれない。
でも、そういった感覚を完全に失ってしまうことだけは絶対に避けたい、何気ない場所で感じた小さなことを、大切にしていきたい、そう強く思った。