実際のところはグラデーション

僕がまだ小さかった頃。

天気予報は、東京は曇り、埼玉は雨。
その境目を知りたかった。
自転車で走っていて、その境目で、
ぱっと雨が降り出す。
その境目に行けば、
身体半分は曇りで、もう半分は雨に濡れる。

天気のよい日に、ともだちと電話していて、
こっちは雨だよ、と聞いて、
そのともだちの街と想像している部分にだけ、
きっちりと雨が降っているイメージ。

雨と晴れがきっぱりと分かれているような景色があると思っていた。

でも、実際のところはグラデーション。

車のなかからの景色が、
田んぼから砂漠になることはありえない。
砂漠になる前のところに、次の兆しが存在する。

雨になりそうなときには、なにかしらの前兆がある。
晴れてくるときもそう。

その兆しに敏感でいたい。

好調なときと不調なとき。

今日をよく見ていると、明日が見える。
必ずそれは、今日の続きにある。


愛あることば

「お客さーん、着きましたよー」
フェリーの係員の方、直々に起こされる。
時計を見ると、朝6:20。
そして、回りを見ると、
僕以外のお客さんは、誰もいなくなっている。

みんなは船内アナウンスで目覚めて、下船したようだけど、
僕は、それまでの旅の疲れもあったのか、ぐっすりと眠っていたようで、
びっくりして、リュック片手に函館港に降りました。

薄曇りの天気のなか、最寄りの駅まで20分ほど歩く。

また今日も、各駅停車に揺られること三時間。
電車は、長万部駅に到着。
乗り継ぎまでの2時間、のどかな街並みをゆっくりお散歩。
名物のかにめしを食べる。
器いっぱいに敷き詰められたかには、さっぱりとしていて、
でも、口のなかには芳醇な味わいが広がり、美味。

去年の夏、ここ長万部駅の商店街を歩いた時に見つけた、小さな本屋さん。
まわりは、ほとんどシャッターが降りたお店ばかりだったので、
まだ、だいじょうぶかな、と少し不安に歩いていると、
あったあった、以前と変わらず、ひっそりとオープンしていた。
そこで、しばし、時間を過ごす。
店主さん手書きのポスターには、

「最新のネットワークにより、お探しのどんな本でも
 最短5〜7日で入荷いたします。」

と書かれていました。

パソコンで買い物をする人たちにとっては、
ちょっとびっくりなスピードかもしれないけれど、
ほんの数年前までは、これくらいが当たり前だったよな、と思う。
それで、特に不便を感じたことも、
その当時はほとんどなかっただろうし、
情報化の進歩がめまぐるしい、現代の時間の流れの方が、
ちょっとおかしいのでは、なんて思ったり。

でも、それはきっと、ここ数日、のーんびりと、
各駅停車の旅を続けているから、
そして、こんなにゆったりのどかな街を歩いているから、
そう感じたのだと思うけれど。

*

往路最後の、各駅停車の旅となる、
室蘭本線に乗り込む。かわいらしい一両編成。
ボックス席になっている電車で、
となりのボックス席では、大学生くらいの、
僕と同じような、電車旅行中であろう格好の青年と、
70歳過ぎの、地元感漂うおじいさん(北海道に詳しそう)とが、
向かいあって座っている。
初対面の2人は、初め、微妙な距離感でしたが、
ある駅で、20分ほどの停車時間があったタイミングから、
一気に会話が弾みだし、その雰囲気がとても楽しそうで、
おまけに声も大きいものだから、ついつい、
僕の耳にも入ってきてしまいました。

その青年は、時刻表片手に、長いこと旅を続けているようで、
これまでの旅のいろんなことを、おじいさんに丁寧に話している。
今夜は、札幌まで行き、ネットカフェに泊まるという会話の中で、
その青年は、ネットカフェというものを、
おじいさんが分からないかもしれないということを踏まえながら、
ていねいにやさしく、細かな説明をしている。
これこれこういうしくみで、シャワーもあって、
2000円代で泊まれるから、学生の旅には便利で、などなど。

おじいさんは、その話を興味深く、ていねいに聞きながら、
今度は、その青年が北海道にそれほど
詳しくないであろうことを踏まえて、
おすすめの路線や、景色の良い場所、
北海道の、昔と今の変化してきた部分などを、
ゆっくり、やさしく、説明している。

そんな状況が、とてもいいなぁ、と僕は感じていました。
そこには、愛あることばが存在しているなぁと。

世代の違う人同士は、どうしてもその中で、
話題を完結しようとして、あまりによろしくない状況では、
「最近の若い人たちは〜」という台詞と、
「古い人には分かんないよなぁ〜」という台詞、
(それらに出会うたびに、僕は、なんだかとっても嫌だなぁ、
 という気持ちになるのですが、)
そんな台詞で、まとめようとしてしまいます。

相手の存在を大切に思い、立場を想像しながら、
その上で、自分の考えていることを、
いかに分かりやすく説明することができるか。
そこで、あれこれ工夫したり、ときには苦しんだり、
そのときに生まれてくる気持ちが、愛というものなのでは。

車窓に広がる、静穏な内浦湾を眺めながら、
愛あることばについてあれこれと思いを巡らしていると、
今回の旅のゴール地点、伊達紋別駅に到着。

これから5日ほど、北海道で、時間を過ごします。

その1 "青森でおばあちゃん"

朝6時過ぎ、二両編成の各駅停車で、
新潟から秋田へと向かう。
所要時間、4時間ほど。

あまりみかけない名前のコンビニが増えてくると、
遠くに来たんだなぁと、そんな気持ちになる。

昨日の夜行列車では、ほとんど眠らなかったため、
各駅停車のほどよい振動とともに、強い睡魔がやってくる。
見知らぬ風景への興味が眠気で、ぼんやりと。
夢と現実のはざまで、
太陽のひかりを受けた海がそよぐ風で揺らめいている景色と、
どこまでも広がる、壮大な、田園風景が浮かんだりぼやけたり。

お昼頃、秋田駅に到着。乗り継ぎに2時間ほどあったので、
街をお散歩。地元感漂う定食屋さんで、お昼ごはん。

13時発、三両編成の各駅停車で、
秋田から青森へと向かう。
所要時間、ここも、4時間ほど。

あまりみかけない名前のコンビニもそうですが、
電車内で聞こえる会話から、独特のリズムと響きを感じると、
これまた、遠くに来たんだなぁ、という気持ちになる。

青森に近づいてくると、
そのリズムと響きは、ますます豊かになってくる。
でも、その雰囲気に、なんとなく、懐かしさを感じる。
そして、青森生まれのおばあちゃんのことを思い出す。
その瞬間、自分が小さかった頃のことなど、
さまざまな記憶がふわふわと浮かんできました。

車内は、ねぶた祭りへと向かう人たちでなかなかの混みぐあい。
僕の座席の斜め前におばあさんが立っていて、
少し大変そうだったので、少し照れながらも、
声をかけると、おばあさんも少し照れながら、
青森のことばのリズムで、「すーいません、ありがとーございます」、
とわざわざ丁寧にお辞儀してくれて、席をチェンジ。

ちょうど自分のおばあちゃんのことを
思い出していたときだったので、なんだか不思議な感覚に。

青森駅は、すでに、ねぶた祭りムードで異様な盛り上がり。
はねと姿の人たちもどんどんと増えてくる。

その2 "メロディーとことばを超えて"

どーん!という花火の音とともに、
巨大なねぶたがいっせいに動き出す。
そのねぶたがすぐ近くまで迫ってきて、
僕の目は釘付けになる。

地を這うような低音域を奏でる大太鼓、
にぎやかに舞う手振り鉦の高音域、
そして、中音域を担う「らっせらー、らっせらー!」のかけ声は、
否応無しに、とんでもない高揚感を生み出す。

視覚聴覚、その他さまざまな感覚を全開にさせてくれる、
その圧倒的な表現に、ただただ立ち尽くす。

気づくと、わけも分からず、じーんと感動がこみ上げてきていて、
涙があふれそうになってくる。

なにか涙腺に訴えかけるようなメロディーがあるわけでもない。
「らっせさー!」なんて、意味もなにもわからないことば。
それなのに、どんな音楽よりも、どんなことばよりも、
大きく大きくこころが揺れ動くような感覚。

そんな心地よさと感動に浸りながら、
あっという間に時間は過ぎて、
どーん!という花火が、祭りの終わりを告げる。
その余韻を味わいながら、深夜発のフェリー乗り場まで、
ゆっくりと徒歩で向かう。

その途中、大きな銭湯で、ゆったりと。
ドアを開けると、ねぶたを担いでいた人や、はねとの人たちで、いっぱい。
浴場に入ると、そこもねぶたで活躍した地元の人たちで、いっぱい。
多くの人が20〜30代の若者で、丸刈りで、こわもてな髭を生やし、
眉毛も細くて、さすがに入れ墨まではないけれど、
その状況に、緊張して、「失礼しましたー!」、と
ドアを閉めるところでしたが(笑)、なんとか平静を装い、
僕は隅の方でシャワーを浴びる。

露天風呂の浴槽では、その、だいぶ迫力のある若者たちの会話が耳に入ってくる。

「明日、ねぶた優秀賞の発表なんだろー、
 すっごい緊張すんな〜、」

「でも、最高に気持ちよかったし、
 悔いに残ることはねえよなぁ」

こわもての若者たちの間では、そんなピュアなことばが飛び交っている。

「あの最後の花火がせつねぇーんだよな」

「俺もう筋肉痛で腕が上がんねぇや」

まるで少年のようなきらきらとした会話が、いつまでも続く。
街ですれ違ったら、目を合わないようにと気を使ってしまうような、
そんな迫力のある若者たちが、こんなにも素直な会話。

銭湯での、そんな、なんとも美しい光景と、
ねぶたでの強烈な感動とが合わさりあって、
この上ないほどの、ぽかぽかとしたこころのまま
フェリー埠頭へと、夜の道をゆったりと歩きました。

暗闇の怖さのなかにある安堵感

23時過ぎ、旅のはじまり、夜道を駅まで歩いていく。
いつもは自転車だけど、一週間ほど戻ってこないので、
めずらしい、駅までの徒歩時間。

町の灯りのひとつひとつに敏感になる。
ここのはこんな色だったんだ、こんな配置だったんだ。
虫の鳴き声も、いつも以上に繊細に響いてくる。
まるで、僕の耳もとでささやいているよう。
足下に、突然ヤモリが登場。その俊敏さを目で追いかける。

旅に出るだいぶ前から、少し緊張していて、
でも、それを上回る、ワクワク感があって。
いつもより心拍数が上がっている感じ、心地よい具合に。
だから、普段よりも、いろんなことが敏感に響いてくるのでしょう。

夜行列車は、新潟へと向かう。

僕のとなりの席には、誰もいなくて、少し落ち着かない。
二駅遅れて、おばさんが乗ってきた。
ちょっとがっかりなような?、でも実は、ほっとしたような?。

車窓からは、ほとんどひとかげのない町並みが広がる。
そして、建物の灯りが、いつもより際立って浮かび上がる。
暖色系の灯りのもとには、家庭の団らんがあって、
蛍光灯の灯りのもとには、まだがんばって働いている人たちが。
僕は車窓に額を近づけて、ぼんやりとしている。
いろんな人が同じ時を、いろんなスタイルで過ごしている。
あ、今、家の灯りがひとつ消えた。

お腹が空いてきて、持ってきていたトウモロコシを食べる。
旅っぽくていいなぁ、とリュックに入れてきたのです。
でも、夜行列車で、寝ている人もいるし、
ちょっと迷惑かな、なんて思っていると、
となりのおばさんが、なんだか、ごそごそと。
ん、なんだろう、と思っていたら、
そのおばさんは、なんとカレーパン。
安心してトウモロコシを食べる。

夜行列車が、東京をだいぶ離れてからも、
まだまだ僕は、旅のはじまりの心地よい振動をたのしんでいる。
普段の生活の中では感じることのない、
いろんなイメージやアイディアが浮かんでくるので、
頭とこころは動き続けて、眠る気にもならず、
本を読む気にもならず、音楽を聴く気にもならず。

今までも、旅行中は、同じような気持ちになることが多い。
旅のなかで思い浮かぶイメージやアイディアの豊富さ。
日常に戻ると、そう大したことではなかったな、
というものも沢山あるけれど、それらを切り捨てても、
普段の生活と比べたら、ありあまるほどの数の発見があるものです。

毎日の生活でも、自動的に、こういう心境に持っていけたら、
もっとクリエイティブになれるかな、と思うけど、
そういうことでもないんだよな、とも感じたり。

気づくと、夜行列車は、灯りのほとんどない、
森のなかを走っていた。
車内の人はほとんど眠りについている。
窓の外はほんとうに、まっくら。
都会ではなかなか感じることのできない暗闇です。
僕は、ちょっとした怖さを感じけれど、
その気持ちを経過したあとに、なんともいえない
安堵感がこころのなかに広がってきた。

ときどき、ひとりになるということ。
それは、きっと、人が嫌だからということではない。
人としっかりと向き合いたいからこそ、
ひとりになる時間も欲しくなるのだろう。


明日は、朝6時発の秋田行きの各駅停車に乗る予定。
日本海に沿って、海岸線を走る、その景色がたのしみです。