グズリという動物とマンデリン

昨日の校長先生の珈琲屋さんでは、
深い味わいのマンデリンと共に、
星野道夫の「イニュニック」というエッセイを読んでいました。
著者がアラスカの友人にすすめられて、現地の土地を買って、
自分の家を建てるときのお話からはじまります。

アラスカでの雄大で厳しい時間の流れ。
マイナス50度にもなる厳しい冬は、
ここ北海道でも、まったく比べものにならないけれど、
それでも、東京で読むよりは、少しはよいかなと思い、
持ってきた本でした。

マッキンレー国立公園で50年以上も
野生動物を撮り続けてきたカメラマンの、
もう80歳を過ぎた、チャーリー・オットーという人のお話。
誰よりもこの国立公園を知り尽くし、愛している彼の口ぐせは、
「今年もグズリが撮れなかったよ。」
50年以上も写真を撮る中で、グズリという動物がまだ撮れていない。
そんなチャーリーになぜか感動してしまうという
著者の文章がつづられています。

「人間の生き甲斐とは一体何なのだろう。
 たった一度のかけがえのない一生に、
 私たちが選ぶそれぞれの生き甲斐とは、
 なんと他愛のないものだろう。
 そして、何と多様性にみちたものなのか。」


カウンター越しにいるマスターとお客さんのおじさんとの会話が
たまたま僕の耳に入ってきた。

「昨日も札幌で、珈琲の勉強会があってさ、
 いかに味を正確に見極めるかということで、
 カップで何度も何度も、飲み比べて、
 その都度、味覚を集中させるから、とても大変。
 豆の種類の違いではなく、たとえば、
 マンデリンの豆の中でも4つのランク分けがあって、
 それを正確に見極めていくのね…」

ふと、さきほど読んでいた、星野道夫のことばと重なりあう。

人間の生き甲斐とは一体何なのだろう。
そして、僕の生き甲斐はどんなことだろう。

マスターの煎れてくれた味わい深いマンデリンが、
じんわりと僕のこころに染みわたってきました。