すべてはすでにあるのかも

伊達紋別駅から長万部駅へ向かう各駅停車。
内浦湾に沿って走る列車の車窓からの風景。
小さなころ、明け方の夜行列車から同じ風景を見た。
そのときの、「わー、とってもいいなぁ」と感じた記憶。

その感覚は、今も変わることはない。
幼少のときに、なんとなく好きだなぁ、いいなぁと、
感じていた、そのぼんやりとした面影を
鮮明に、明確にしていくことが、
大人として生きていく日々なのかな。

歳を重ねるごとに
まるっきり新しいものが
増えていくように思うけど、
そうではなくて、
もしかしたら、自分のなかに、
すべてはすでにあるのかも。

音にならない音

北海道の共和町にある神仙沼へ。
心地よい緑に囲まれた木道をのんびりと歩く。
木々に囲まれた場所に立っていると、
しーんという、音にならない音を感じる。
その感覚が大好きなのです。

こうして自然に
触れることができるときには、
自分の内側がとても調子よくなってくるのを感じます。
自分の内側の調子は、
自ら意識を向けて改善しようとしても、
どうにもできないものなので、
こういう感覚は、ほんとうに貴重なものです。

*

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日常のなかのリス

朝、早起きして、登山に出かける。
北海道大滝にある、徳舜瞥(トクシュンベツ)岳の
頂上を目指しました。

中学高校のときは、毎年学校で登山に行っていたのですが、
ひとりだけで登山をするのは初めてのことで、
ペース配分のことなど、やや不安もありながら歩きはじめました。

ペース配分を自分ひとりでコントロールするという意識から、
いつも以上に、さまざまなことを
敏感に感じながら、山頂を目指しました。
そんななかで、感じていたことは、
なんだか、普段の生活での時間の使い方にも、
そのまま、あてはまりそうことがいくつもありました。
例えば、このようなもの。

(1) 頂上がものすごく遠く遠くに見えて、
  これは無理なのではと、心配になるのですが、
  あまり遠くを見すぎないように、足下に意識を向ける。
  そして、足下だけでは集中が途切れることもあるので、
  一合目、二合目、というように、目前の目標を意識する。

(2) 休憩はとても重要、でも、休みすぎると、
  疲労感が出てきてペースが崩れるので、
  適度な休憩時間をこころがける。

(3) 傾斜がきつくなってきて、息苦しくなってきたとき、
  目の前に小さなリスがあらわれる。
  餌をさがして土をかきわける作業に必死なリスは、
  こちらになかなか気づかずに、
  僕の手が届くくらいの距離で、やっと気づいて、
  ぴょんっと、飛び跳ねるくらいに慌てながら、
  草むらに隠れていった。
  そのしぐさがなんともかわいらしいこと。
  そして、そのかわいらしさのおかげで、
  それまでの息苦しさが不思議なほどに、
  とこかへ吹き飛んでしまう。

(4) 途中、人の声がきこえて、すれ違うときに挨拶。
  だいぶ疲労感に襲われていても、
  人に会うと、その瞬間、しゃきっと姿勢が正しくなる。

このなかでも、特に、(3) のできごとが僕にはとても新鮮に響いて、
日常のなかのリスとは、どんなことなのかな、と考えてみたり。
リスは、すばしっこいですし、小さいですし、
自分が、疲れてたり、忙しかったりすると、
なかなか見落としがちになるかもしれないけれど、
そんなときにも、リスに出会えるゆとりが欲しいものです。

そんなこんなで、無事頂上に、到着。
最高の天候にも恵まれて、
360度の素晴らしい眺めを堪能できました。
特に、洞爺湖越しに見えた大きな海(内浦湾)、その風景は、
ただただ、呆然と眺めてしまう、美しさでした。
そして、頂上で寝そべりながら、
お気に入りのヘッドホンで、とっておきの音楽を味わう。
視界には、手の届きそうなくらいに、すぐそこにある雲、それだけ。
あまりに気持ちよくて、二時間近く、そうして過ごす。
これはほんとうに至福のとき。

そういうわけで、ついでにもうひとつ追加。

(5) 頂上で感じることのできる、至福の心地よさを思い描く大切さ。

*

帰りは、名水亭という大きな露天風呂の温泉で、のんびりと。
こころがたっぷり満たされた一日でした。

*

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銀メダリストの姿から

オリンピックを観ていると、
こらえることができないくらいに、
じーんとくる瞬間があります。

もちろん金メダルを穫ったときは、とてもうれしいのですが、
あと一歩で、金メダルを逃して、銀メダルというときのシーンに、
なんだか、じーんとしてしまうというか、震えがくるというか、
大きくこころが動きます。

このオリンピックに向けて、毎日のように、
僕たちの想像を遥かに超えた厳しいトレーニングを積み重ね、
ひとつひとつの試合に向かうプレッシャーと向き合いながら、
ときにはスランプになって、苦しんで、
思い悩んだり、それでも乗り越えたり、
そんな積み重ねの日々が、銀メダリストの姿からは、
特にリアルに、強烈に浮かび上がってくるのです。

金メダリストの涙からも、
それまでの苦悩の日々が伝わってきますが、
それとは別の次元といいますか、
観ていて、いてもたっていられなくなる感覚で、
思わずテレビ越しに、涙ながらの声援を送ってしまうのです。

柔道女子の塚田選手が最後までリードしていながら、
ラスト10秒ほどで、背負い投げされて金メダルを逃したとき、
僕のなかにたくさんの想像が生まれて
(勝手な思い込みも多いと思いますが)、
ぶるぶると震えてしまいました。

そして、翌日の朝刊で、
銀メダルを手にしている塚田選手の
とても清々しい笑顔を見て、
またまた、えらく、感動してしまったのでした。

ドレッシングなしで

北海道の伊達という街で、
のんびりとした時間を過ごしています。

真夏の最高気温が23度という過ごしやすさや、
コンビニに入って、店員さんの「ありがとうございました」が、
なんともあたたかな響きだったり、
道路が広々としていてゆとりのある感じだったり、
などなど、うれしいことづくしなのですが、
そんななかでも、特に感動するのが、野菜のおいしさ。

こんな文章では、そのおいしさが、
ほとんど伝わらないと思いますが、
うまみが口の中、そして体中を、
ふわふわ広がる感じなのです。
どんな野菜も、ドレッシングなしで
食べたくなってしまいます。

北海道はいろんな食べ物がおいしいことで有名ですが、
それはきっと、その素材がすばらしいからなのですね。

普段、東京で食事をするとき、できるだけゆっくり
味わおうなんて意識してみることがあるのですが、
こんなにおいしい野菜を食べるときは、
無意識に味わってしまうというのかな、
自然に、噛み締める行為に意識が向かい、
食事をしているときが、なんとも豊かな時間になって、
そして、食べ物をいただくことへの感謝の気持ちも膨らんできます。

これから数日間、北海道の時間を十分味わって、
しっかりと充電できたらと思っています。


迷子という概念すらなくなる

大きいものと小さいもの、豪快なものと繊細なもの、
そういったものが、ひとつのなかに、
うねるように混ざり合う感覚は、
音楽にも絵画にも小説にもある。
そんな作品に出会うと、
今、自分がどこにいるのか分からなくなる。
それは、迷子になるというわけではなくて、
なんというか、迷子という概念すらなくなる、
ただただ空っぽになる、そんな感覚。

青森県立美術館に一歩足を踏み込んだ瞬間に広がる、
縦が約9メートル、横は約15メートルもの大きな絵。
マルク・シャガールのバレエ「アレコ」の背景画。
大きな3作品がホールを囲むように配置されていて、
その中心には自由に移動できるイスがおいてある。
僕はそこに座り、時間を忘れて、
ただただじっと、ぼんやり、眺めていた。
特に、"第1幕 月光のアレコとゼンフィラ"
という作品の存在に圧倒されて、
まさに、空っぽになる感覚を味わいました。

青森県立美術館の建築そのものも、大変美しくて、
知らない間にどんどんと時間が過ぎていて、びっくり。
また必ず足を運びたい、大切な美術館のひとつになりました。


夕方、急ぎ足で、青森港に向かい、函館行きのフェリーへ。
ほとんどの時間を外のデッキで過ごす。
ちょうど、夕暮れの見える時間帯を選んで乗船したのです。
天候にも恵まれ、思わず息をのむような、
どこまでも広がる海に浮かぶ、壮大な夕暮れに出会いました。
言葉にはなにひとつならないけれど、
からだのすべてが、じーんと、ゆったりと震え上がる感覚。

こういう風景を普段も見ることができたら、
現代社会に多発しているような、
想像を絶する犯罪は起こらないのでは?と思う。
でも、実際には、都会の込み入った環境や、
身の回りに情報があふれかえるような日々などで、
こうした大きな自然の美しさに、日常、触れることは、
なかなか難しいことなのかもしれません。
それでも、そうした日々のなかで、ほんのわずかでも、
この夕暮れを、自分の胸につめ込んでいられたらいいな、
と思ったのでした。


夜9時過ぎ、北海道に足を踏み入れると、
さらっとした涼しさに驚く。
早くも東京に戻りたくなくなる感覚が沸き上がる。

*

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"あおもり犬"

こころは僕に旅を続けてほしくないのです

北海道まで鈍行列車の旅。

いつもは飛行機で行っていたところを
昨年はちょっと気分を変えて、
寝台列車の北斗星の旅をしてみました。
そのゆったり感がなんとも心地よかったので、
今回はさらにゆったりということで、
特急列車を一切使わずに、
北海道に行く計画を立てたのです。

朝5時過ぎに家を出て、
9本の電車を乗り継ぐ鈍行列車の旅のはじまり。
その長い時間を見越して、
選び抜いた3冊の本をリュックに入れてきたけれど、
田舎の駅ののんびりとした雰囲気を味わったり、
車窓に広がる大きな風景に
引き込まれている時間がほとんどで、
結局、ちょうど1冊を読み終えたときに
青森駅到着、夜9:30頃。

盛岡を過ぎて、青森に向かうときに見えた、
穏やかで大きな田園風景。
なんだかわからないけれど、じーんとしてしまう。
東京で過ごす毎日が、いかに、
人と人との距離や、建物同士の距離が近すぎるのか、
そんなことを考えていました。
ほんとうは人間にとって
ものすごく過酷な日々を過ごしているのに、
良くも悪くもそれに対する違和感がなくなっているんだよなぁ。

読み終えた1冊の本というのは、
長めの旅行では、よく持ち歩いていて、
今までに何度も読んでいる、”アルケミスト”という物語。
高校生のときに、仲のよかった女の子に
誕生日プレゼントでもらったこの本。
相当、読み込んだので、そしてよく持ち歩いたので、
だいぶ古びてきているのですが、
ここには、いろんな思い出が詰まっています。
読むたびに引き込まれるポイントが変わってくるのがおもしろい。

「こころは僕に旅を続けてほしくないのです。」

「それは今までに得たものをすべて失うかもしれないと、
 こころは恐れているから」

「それならばなぜ、僕のこころに耳を傾けなくてはならないのですか?」

「なぜならば、こころを黙らせることはできないから・・・」

ゆっくりと移ろいでいく車窓からの景色を眺めながら、
そして、同時に自分のこころに耳を傾けながら、
物語はどんどんと広がっていったのでした。


今日は青森で一泊、
明日は、前々から行ってみたかった、
青森県立美術館に行く予定。
そして夕方、フェリーで函館へ。